地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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民衆の立場での交流を望みたい

会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか|Excite エキサイト ブックス (文学・本・読書)

 会津を離れた親戚の子どもに、親たちの心の故郷の思いを伝えたいという思いがあって、この本を紹介したことがある。百年以上も前の話なのにと驚いていた。

 この本で、星亮一氏は、長州、会津の双方の立場に立って、互いの誤解を解くことの必要性を訴えている。その根底になる客観的な事実を積み重ねている。
 その中で、今私が注目しているのは、藩主や将軍の政治的な策略や保身のため、家臣が振り回されたり、そのために互いに怨念が生まれたりする事実である。
 実は、会津にいるときには為政者の立場にたった歴史しか見えなかった。今、少し離れた所に生活していると、民衆のたんたんとした生活が見えてきている。民衆は、為政者たちのあれだけの悲劇にも関わらず、西軍の道案内をしてみたり、逆に西軍が禁止しているにもかかわらず、隠れて会津の戦死者を丁重に葬っったりしているのだ。人間らしく生きていると思うのだ。多分、長州への怨念などもないのであろう。

 2006.10.19の朝日新聞で、関連する記事を見つけた。「会津と長州の友好着実に」という見出しで、山口の会員が白虎隊慰霊祭参列の記事が載っていた。これも親戚の子に紹介してみたくなった。



その記事の内容の概略は次のようなことであった。
 9月に、山口県・萩市の医師等が「長州と会津の友好を考える会」を結成した。そして、9月23.24日会津祭りの最中に、会のメンバー四人が友好活動の一環として訪問したということだ。 民俗研究会と懇談したり、飯盛山の白虎隊慰霊祭に参加したり、戊辰戦争で戦死した会津藩士が埋葬されている阿弥陀寺を訪れたりしたという。
 その中で、会津祭りの中心的行事の会津藩侯行列で、新撰組が登場したことに驚いたという。長州が京都で新撰組にたくさん殺されたからだ。
 87年に、萩市の商工会議所が会津若松市に友好交流締結を申し入れ、時期尚早と断られた経緯があるが、地道に交流を続けているとのことであった。「外国人と結婚しても長州の人とは結婚するなと伝えられてきたという会津との友好促進は簡単ではないが、前に進みたい」とのこと。
 
  今、会津と長州で進められている交流は、為政者の観光行政のにおいを感じるが、純粋に民衆の立場での交流であってほしいなと思いはじめている。
by shingen1948 | 2006-10-19 21:05 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)