玉井山入村の戦争・戦死者氏名碑
2006年 10月 19日

この碑に刻まれている戦死者の内訳は、会津藩3名・二本松藩1名・伝習隊39名である。戦死者総数は43名である。伝習隊39名の内訳は幕臣は9名、雇軍夫30名とのことである。
塩谷七重郎氏の「大玉山入の戦」に、この碑に刻まれている伝習隊の戦死者についての記述がある。それによると、伝習隊の戦死者の氏名は不明だったのを、新人物往来社刊の幕末維新全殉難者名鑑によって明らかにしたとのことである。その明らかになった者の氏名を碑に刻んだとのことである。
ただ、山入の戦いの戦死者は明らかになったが、「戦死三十一人墓」に埋葬されたのは、そのうちの誰かということについては分かっていないとのことである。