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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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死を持って抗議する子ども文化を拒否する大人でありたい

Excite エキサイト : 社会ニュース
 女児が自殺を図ったこと、そのことがいじめに起因しているかも知れないことによる辞任ではない。1年あまり対応を怠った事による辞意と思われる。

 先に、この問題に関して、残された遺書の対応をめぐって対応することの危険を訴えた。 日本人は、無意識ではあっても、死をもって訴えることに肯定的な感覚を持っている。そういった文化を子ども世界に導入することにならないかと思うからだ。大人は、いかなる理由があろうとも、死をもって自己主張することを否定する文化形成の努力をすべきだと思うのだ。

 死にたいぐらいのことだったことは分かる。また、子どもを失った家族の怒りは想像を絶するであろう。死をもって自己主張することを否定する意味からも、そういった悲しさを伝えることはとても大切だと思う。

 「遺書への対応の遅れ」を理由に、教育長が辞職するということは、子どもが、死をもって訴えることを善しとしてしまう。地位あるものを陥れることもできるという文化を形成することにならないだろうか。苦しくても、死んではならない。死ねば分かってもらえるということは間違いだと教えたい。
 ここで、大人たちは立ち止まることが大切なのだと思うのだ。教育長を血祭りにあげて満足しているマスメディアの影響力を、真摯に反省する必要は本当にないのだろうか。
by shingen1948 | 2006-10-11 19:25 | ☆ 教育話題 | Comments(0)