郡町村制時代に笹谷村が所属する行政区⑧
2023年 03月 09日
現在は、大笹生地域と笹谷地域を合わせて信陵地区と呼称する。
この呼称は、大笹生地域と笹谷地域の公民館や支所が合併した時に、その公民館名、支所名に使われたのが最初だったと記憶する。
笹谷の公民館は現「信陵学習センター」の場所にあって、大笹生の公民館はその分館で、その名称は「北公民館」だったはずだ。
合併以前の支所は、それぞれの地域にあってその名称もそれぞれの地区名だった。
ここが笹谷支所だったところだ。現在「笹谷市民センター」として活用されているようだ。
右手の門柱には、今も「福島市役所笹谷支所」の表札が見える。
昭和30年(1955)に信夫郡笹谷村は福島市に編入されて福島市笹谷になる。その時から北公民館と両地区の支所が合築されて信陵支所となる平成6年(1994)までの名称とその位置を示している。
ここは、福島市に編入される昭和30年(1955)以前は笹谷村役場だったはずだ。その名残が、左隅に電柱下に写り込む道路元標だ。
先に整理したように、村創立当初、笹谷村役場は学校と共に向かいの蓮光寺にあったようで、道路元標も寺の門前からここに移されたはずだが、笹谷村役場がこちらに移った時期はよくわからない。ただ、小学校が現在地に新築されるのが明治31年(1898)なので、その頃なのだろうと想像する。
なお、北公民館と両地区の支所が合築された時点では、公民館は「信陵公民館」との名称だったが、平成17年(2005)の福島市学習センター条例施行に伴い「信陵学習センター」と改称されている。
この経緯をみれば、公民館名や支所名を「信陵」とする由来は信陵中学校でないのかなと思える。
そして、信陵中学校から独立した清水地区の学区を除いた地区を信陵地区と呼称するようになるのだろうと思う。その意図の中には、両地域の公共施設を統合したいという思惑があったのではないかと想像する。
というのは、明治22年(1879)に南沢又村、北沢又村、泉村、森合村、御山村が合併して清水村ができた時に、大笹生村と笹谷村の合併が検討されたようなのだ。ただ、大笹生村の反対で実現しなかったという経緯があるようなのだ。