笹谷村の寺小屋情報を散歩で確認する⑤~師匠高橋忠蔵氏(成出)にかかわって
2022年 06月 20日
成出集落の高橋氏ということで直ぐに思い浮かぶのは、「郷土史物語」で「地蔵菩薩(愛宕さま)と高橋家」で紹介される高橋元次家だ。
この「郷土史物語」は沢又村を中心にした郷土誌だ。ここで取り上げられた地蔵菩薩(愛宕さま)は竹之花(鼻) 渠の南側にあって北沢又村に所属する。しかし、ここで取り上げられる高橋家は、竹之花(鼻) 渠の北側にあるので笹谷村に所属する。
この「郷土史物語」では、愛宕さまの本地仏である地蔵菩薩の元々の位置も「道を挟んだ北側の高橋家屋敷の鬼門である戌亥の片隅に産土稲荷としてあった」と表現する。
したがって、笹谷村の寺小屋師匠の高橋氏情報と重ね合わさる可能性をイメージしても矛盾は無いはずだと思った。
「郷土史物語」の高橋家と笹谷村の寺小屋情報の高橋氏を重ねてイメージしたのにはもう一つの理由がある。
愛宕様の本地仏地蔵菩薩移動先選定理由が「文政の頃に、この高橋家が家運を占ったところ」という。どうみても、高橋家個別の事情だ。
ところが、この地蔵菩薩を安置する御堂は集落みんなで協力して建てられたというのだ。更には、付随施設のお籠堂等は集落みんなの負担で建立したという。
ここで気になるのが、高橋家の家運占いの結果という個別理由に、何故集落みんなが資金や労力を出し合って協力することになるのかということだ。
単なる権力関係とは考えにくい。
信頼という要素をもった権威のなせる業のように思えたのだ。もし、笹谷村の寺小屋師匠のお一人だと想定すれば、あり得るかもしれないとも思えたという事だ。
何とか個人名「忠蔵氏」そのもの情報確認をしたかったのだが駄目だった。
もう一つ愛宕様と高橋家という関連で気になったのが、横堀の寺小屋師匠だ。
成出集落の地蔵菩薩(愛宕さま)が紹介されるのは北沢又村所属だが、福島神社明細帳に笹谷村の愛宕神社として紹介されるのは小字横堀の神社だ。その横堀集落にも「笹谷小学校百年のあゆみ」では寺小屋師匠高橋重右衛門氏が紹介されている。
そこで気になるのが、この成出集落の高橋氏と横堀集落の高橋氏は関係があるのかどうかということだが、今のところこちらも確認はできていない。