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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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朝ドラ「エール」散歩資料(福島)⑲~古関氏のご当地ソングに歌い込まれた福島の風景③

古関裕而氏が自伝に記す竹下夢二氏と、夢二氏の福島での足取りとを照らし合わせてみた。

すると、古関氏が「福島行進曲」のB面に福島小夜曲(ふくしまセレナーデ)」を入れたいという意図は単に歌詞内容が福島にかかわるということにとどまらないことが分かる。福島には夢二の愛好家も多く、作詞者竹下夢二氏もまたよく福島に遊んでいるという関係性にも拘っている事が分かる。

夢二画展覧会について、古関裕而氏の自伝には次のようにしるされる。
福島には夢二愛好家がわりに多く、地元新聞の福島民報社長中目元治氏や、福島ホテル社長の杉山氏等が、多くの作品を蒐集していた。既に大正年間に二回ほど福島で画展が開かれ、大正7年頃の会に、まだ私は小学生だったが見に行った記憶がある。
多くの作品を蒐集しているとする福島ホテル社長の杉山氏については、前回整理した助川氏とのかかわりもあるだろうと思う。

大正年間の画展に小学生の古関氏が観に行った展覧会を「Masaの道中日記」のブログで整理された夢二氏の福島での足取り情報と照らし合わせる。


大正7年の情報はないが、次の年の大正8年8月末から9月半ばまで福島ホテルを中心に宿泊し、912日から14日まで福島県会議事堂で東北文芸協会主催の「夢二抒情画展覧会」が開催されたという情報がある。これと重なるのだろうと想像する。

古関氏の記憶の大正7年頃というのは小学3年生で、大正8年は小学4年生ということにり、年譜の担任等の情報からも、その頃という捉え方でよさそうに思う。

Masaの道中日記」の情報では大正10年の10月30日~11月3日にも福島美術倶楽部で「竹久夢二小品展覧会」が開催されているということだ。

これは、自伝の「既に大正年間に二回ほど福島で画展が開かれ」という情報と重なるのだろうと思う。


by shingen1948 | 2020-08-31 15:12 | 朝ドラ「エール」視聴記録 | Comments(0)