朝ドラ「エール」散歩資料(福島)⑰~古関氏のご当地ソングに歌い込まれた福島の風景
2020年 08月 27日
前回、古関裕而氏が「福島ハーモニカソシャイティー」と「火の鳥の会」に参加するのに通る道筋の風景を、昭和2年(1927)製地図を元に想像してみた。
今回は古関氏のご当地ソングに歌い込まれた福島の風景を確認してみる。
古関氏のデビューレコード曲は「福島行進曲」。
野村俊夫氏の詞に古関氏が曲を付けたもののようだが、そこに歌い込まれるのは、福島のシンボル「福ビル」と福島停車場駅前通りの「柳並木」だ。
この風景について古関氏は自伝で次のように記す。
「柳並木に灯がともりゃ……」の柳は、福島駅からまっすぐ東に延びた大通りの両側に並木になっていた。春には芽吹き、その緑は街に風情をそえていたが、いつの間に切られたのか、今では跡かたもない。
ドラマではふれられないが、「福島行進曲」のB面としてレコード化された曲は「福島夜曲」のようだ。作詞は竹久夢二氏だ。
自伝によると、この歌は昭和4年(1929)に福島で竹久夢二展が開かれた時に作った曲とのことだ。
奉書の巻紙に「福島夜曲」と題した12の民謡調の詞と水墨彩色された展示物をみて感動し、作曲してみようとノートに写して持ち帰り作曲したもののようだ。
これは、夢二氏が滞在中に即興で書いたものらしいという。
古関氏は福島ホテルに滞在中の夢二氏に直接面会して楽譜を贈呈したとのことだ。夢二氏はたいそう歓ばれて、古関氏にその場で描いた吾妻山のスケッチを返礼にくださったそうだ。
レコード化に当たっては次の「吾妻山」「弁天山」「信夫山」の3編を選んだということだ。
遠い山河たずねて来たに吾妻しぐれて見えもせず
川をへだてた弁天山の松にことづてしてたもれ
信夫お山におびときかけりゃ松葉ちらしの伊達模様
後の古関氏の想い出を語ったとされる情報によると、この時の展覧会は県庁前の議事堂で行われたもののようだ。また、この時に古関氏が贈呈した楽譜は、だいぶ過ぎた頃、東京の三越デパートで開かれた 「竹久夢二展」の隅に出されていたのを古関氏が見つけていたとのこと。
自伝に戻ると、これを機に文通交流があった事が記される。
古関氏が上京する2月前の昭和5年(1930)の7月にも夢二氏の個展が福島で開かれたそうだ。
ここで結婚したばかりの金子さんも紹介したそうだが、夢二氏は展示物の扇子を取って妻にプレゼントしてくれたということだ。
別情報によると、この個展が行われたのが完成間もない福島ビルディング(福ビル)だったということのようだ。
年譜と照らし合わせてみる。
(※昭和4年県庁前の議事堂で夢二展覧会、福島ホテルに夢二氏を訪ね、楽譜を贈呈)
昭和5年(1930)6月 金子さんと結婚し、9月にコロンビア専属作曲家として上京。
(※この年の7月に福島ビルディングで夢二氏の個展が開催された)
昭和6年(1931) 早大応援歌「紺碧の空」作曲、第一回レコード「福島行進曲」「福島小夜曲(ふくしまセレナーデ)」発売。
なお、福島市ホームページの「福島ゆかりの曲」解説によれば、「福島行進曲」制作年は昭和4年(1929)とのことで、この曲も上京する前の年に制作されたものということのようだ。
そこは、ドラマと微妙に違うところだ。