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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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朝ドラ「エール」散歩資料(福島)⑪~古関裕而が勤める銀行②

前回確認したように、川俣銀行は、明治27(1894)に川俣町の有志家達が発足させた川俣永続社をルーツとし、大正3(1915)に川俣銀行と改称されたもののようだ。

しかし、昭和14(1939)には郡山商業銀行に買収される。そして、その郡山商業銀行も1927年野金融恐慌で金融機関の破綻が相次ぐと、国が示した11行主義に基づき、会津銀行、白河瀬谷銀行と対等合併によって東邦銀行となるという経緯のようだった。

年譜で確認すると、古関裕而氏がこの銀行に勤めるのは、昭和3(1928)~昭和4(1929)にかけてのようなので、銀行が一番安定していた時期なのではないかと想像する。

20歳前後で、福島ハーモニカ・ソサエティーとともに、仙台中央放送局記念番組に出演したり、舞踊組曲「竹取物語」ほか4曲をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、二等に入選したりしている。

音楽活動との二足の草鞋が可能な状態は、伯父さんが頭取だったことに加え、銀行の経営も安定していた時期だったということもあるのではないかとも思う。

朝ドラ「エール」散歩資料(福島)⑪~古関裕而が勤める銀行②_a0087378_11473194.png「国立国会図書館デジタルコレクション」で、大正11年出版の「福島県百番附」に掲載される以下のような川俣銀行の広告を見つけた。

確かに、頭取に武藤茂平の名が見える。

この方が川俣の有力資産家だったことが分かる例として、「明治44年有限責任川俣購買生産信用組合」の大口出資者記録が挙げられる。

そこには、職業として「地主、醸造業、商人」、主な肩書として「町会議員、電気会社、委託商会取締役」であること、後期県税戸数割等級は「特一」という特別な等級である事が紹介される。

「日露戦後期における地域振興策とその性格【福島県伊達郡川俣町を事例として】( )」で、その紹介が確認できる。

この「明治44年有限責任川俣購買生産信用組合」というのは、川俣の基幹産業である絹織物業の挽回を図って結成された組織のようだ。

構成員は69人で、その活動は、結局は貸付業務であり、その運営資金の中心をなすのは出資金だという。その大口出資者は町内上層の人々で、総出資個数の約半数をしめていたというが、その貸付利息と預金利息を収益として毎年多額の余剰金を挙げていたということだ。

町内有力資産家たちは、発展のために大規模工場を設立するなどの直接的な介入をするのではなく、資金供給の会社を設立し、その資金を絹織物業者に供給することで、基幹産業である絹織物を担う小規模生産者を保護するという施策をとった。

ここでの論者は、これは、有力資産家は自らのリスクは回避しながら地域振興策に関与したことに注目する。

「明治44年の多額納税者議員互選名簿」によると、武藤茂平氏の職業が質屋業となっているのは、そのかかわりだろうか。

ちなみに、武藤茂平氏が多額納税者議員互選で議員になったという情報は確認できていない。

今のところ15名の互選名簿に上がっている事は確認できている。また、大正時代に制度が変わり200名の互選名簿となった時点でも確認はできた。ただ、そこで議員に選ばれたということについての確認はできていない。

 ウィキペディアで確認できる福島県選出の貴族院多額納税者議員は、大谷五平・金成通・佐藤伝兵衛・鈴木周三郎・角田林兵衛・根本祐太郎・橋本萬右衛門(貴族院議員)・橋本萬右衛門(参議院議員)・諸橋久太郎・油井徳蔵・吉野周太郎(9)・吉野周太郎(10)の各氏だ。


by shingen1948 | 2020-08-05 11:49 | 朝ドラ「エール」視聴記録 | Comments(0)