朝ドラ「エール」散歩資料(福島)⑩~古関裕而が勤める銀行
2020年 08月 03日
ドラマでは、商業学校を卒業した裕一は母方の伯父権藤茂兵衛が経営する川俣銀行で働き始める。いずれ権藤家の養子となり川俣銀行を継がなければならないという宿命を背負うという設定だ。
実際に、モデルの古関裕而氏も母方の伯父武藤茂平衛が頭取を務めていた「川俣銀行」に就職している。ただ、権藤家の養子となるといった宿命を背負うというような事ではないようだ。
前回整理したように、継ぐべき「喜多三」の店は、商業学校に入学して間もなくたたまれてしまうという状況だ。
自伝でも、伯父さんが「家でプラプラしているのなら働かないか」と声をかけてくれたとある。
その自伝では、母の生家である武藤家は県内でも指折りの資産家であった事が記される。「ちりめん屋」の屋号で醸造業を営み、多額納税者として貴族院議員をつとめたこともあったということだ。そのかたわら、川俣銀行も経営していたということのようだ。
この川俣銀行についての情報を東邦銀行の情報から拾う。というのは、この銀行は、郡山銀行に吸収合併され、その後この郡山銀行が現東邦銀行に吸収合併されるという経緯を辿るからだ。
ウィキペディア等の情報によれば、東邦銀行は、昭和16年(1941)郡山銀行・会津銀行・白河瀬谷銀行を吸収合併して設立されたものなそうだ。
その後、昭和17年には、三春銀行・猪苗代銀行・岩瀬興業銀行の営業を譲受し、昭和18年には、矢吹銀行・田村実業銀行・磐東銀行の3行を合併し、更に昭和19年には福島貯蓄銀行を合併して、昭和21年に福島市に本店を移しているという。
川俣銀行は、その創業時に合併された郡山銀行に吸収合併されている。東邦銀行創業以前の情報確認が必要になるが、それが東邦銀行70年史で確認できる。
ここに「東邦銀行」創立までの系譜が記されているのだ。ここで、次のような郡山銀行の沿革が確認できる。
郡山銀行は、大正8年に創立されるが、昭和12年には白河実業銀行を買収している。そして、昭和14年には川俣銀行を買収する。
その川俣銀行の系譜を見ると、大正3年に名称が改称されているという。以前の名称が川俣永続で、これが明治27年に創業しているということだ。
なお、昭和12年に郡山銀行に買収された白河実業銀行は、昭和7年に棚倉協同銀行を買収している。その棚倉協同銀行は、明治12年創業の棚倉協同社を昭和2年に改称したものという。
これらの創業をみると、川俣銀行は棚倉協同社に次いで歴史のある銀行だったことが分かる。