清水村道路元標④
2019年 09月 13日
「福島県史料情報第20号(平成20/3/25)」の「道路元標を歩く」で示される設置場所は、その大半は市町村役場の前か市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていたとするわけだが、その後半にあたるとみたということだ。
ところが、「郷土史物語」では清水村道路元標は旧役場玄関前の万世大路近くに設置された公示板の傍らに建っていたという。つまりは、「道路元標を歩く」で示される設置場所の前半にあたるとしているということだ。
今回は、これをどう読み解けばいいのかという事を確認していく。
「郷土史物語」が示す以下の役場移転の経緯が、今回の読み解きのヒントになる。
「昭和26年(1951)に完成した刑務所通り開通で、刑務所通りと農協に挟まれて自転車置き場も無くなったことで、昭和51年(1976)に現在地に移転した」
信夫郡清水村は、この出来事以前の昭和22年3月10日に福島市と合併しているのだ。
この旧役場の名称は似かよってはいるが、明治22年から昭和22年までは信夫郡清水村役場だが、昭和22年からは福島市の清水役場になっていたということだ。
道路元標の方だが、施行令によるその設置基準がなくなるのは戦後の改正道路法とのこと。
この法律が制定されるのは明治27年(1952)のようなので、この時点では施行令による設置基準は生きているということだ。
それで、福島市と合併する機会に、基準に基づいて設置された信夫郡清水村の道路元標を、役場前に設置し直したのではないのだろうか。
役場としては福島市の一支所になった清水役場だが、そこに向けての準備段階ではまだ信夫郡清水村役場の精神は引き継がれていたのだと思う。
ここから以降に、「郷土史物語」が示す役場移転経緯と清水村道路元標が現況位置に移動した経緯が続くと見ればつじつまが合うと思うのだが、どうだろうか。