清水村道路元標③
2019年 09月 12日
「郷土史物語」では、清水村道路元標は、旧役場玄関前の万世大路近くに設置された公示板の傍らに建っていたとある。
しかし、大正9年福島県告示では「信夫郡大字南澤又字中富匠田及成出46,47」に建っていたとされる。
しっくりと受け取れない事の一つは、この「郷土史物語」が示す道路元標の位置と福島県告示の示す位置が違うという事だ。
もう一つしっくりこないのが、福島県告示が示す位置情報だ。
まずは、この福島県告示が示す位置情報をを先に確認する。
ここでいう「南澤又字中富匠田」は「南澤又字中番匠田」だと思う。また、「及び成出46,47」だが、この「成出」は南沢又の小字にはないので北沢又だと思う。
しっくりいかないのはこの事ではなく、この情報では清水村道路元標は複数本あるように読み取れるという事だ。というのは、旧道路法では各市町村に一個ずつ設置することとされていたはずなのだ。
これを読み解くヒントになったのが、「福島県史料情報第20号(平成20/3/25)」の「道路元標を歩く」の設置場所に係る次の記述だ。
「設置場所は府県知事が指定することとされており、大半は市町村役場の前か、市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた」
この後半の「市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた」ということなら、位置情報として複数個あるように見えて、実は1個であるということが起こり得ると思ったのだ。
南沢又字中番匠田と北沢又字成出近くには、万世大路と飯坂街道の分岐点がある。
この道筋と設置情報地番とを見比べてみると、成出の地番46・47は確認できないが、万世大路の北側が北沢又字成出は確認でき、南沢又字中番匠田が万世大路の南側の地名であることが確認できるのだ。
つまり、万世大路と飯坂街道の分岐点を北沢又字成出とみても、南沢又字中番匠田とみてもよさそうだということだ。
ここに、清水村道路元標は建っていたと読み取ってみたいが、どうだろうか。
次にしっくりこないのが、「郷土史物語」の清水村道路元標設置位置だが、これをどう読み取るかということだ。