清水村道路元標②
2019年 09月 10日
その原因の一つが、古い地図の役場北側の道筋と刑務所通りの関係がよく把握されていないということにあるように思う。
それで、その古い地図で旧役場北側の道筋を西側に辿ってみると乙天堂の南側を中條に向かう道筋と繋がっているように見える。現西環状線より西側でこの道筋の痕跡らしき道筋が確認できるが、東側では消滅している。
飯坂街道に交わる付近のこの道筋をJA給油所と旧JAマーケットの間辺りとみると、説明される事と古い地図から読み取る役場の位置のイメージがうまく重なるような気がした。
この時代の旧清水村役場の地番は泉字大仏25だ。旧清水村役場の泉字大仏25という地番は、この古い道筋から南側に付されたものと想像する。
この「泉字大仏25」の地の間に刑務所通りが開通したとみるのだ。現況ではこの地番は刑務所通りの南側の洗濯店あたりのみにふられている。そして、元泉字大仏25だったJA給油所は、旧JAマーケットと同じ堀の内6の2の地番がふられているということだ。
現況と古い地図から読み取る役場の位置関係を上記のようにとらえ直して、「郷土史物語」がいう旧清水村役場の位置情報を確認するとすっきりした。
再掲する。
明治22年(1889)に市町村制実施に伴い、南沢又・北沢又・泉・森合・御山の5町村が合併して発足する清水村役場が、現農協給油所のところにあったという。それが、昭和26年(1951)に完成した刑務所通り開通で、刑務所通りと農協に挟まれて自転車置き場も無くなったことで、昭和51年(1976)に現在地に移転した。
なお、同誌の郵便局情報では、岩代清水郵便局は田中善右衛門氏局長として昭和16年(1941)4月16日に字大仏23番地に開局され、昭和34年10月1日に泉郵便局と改名したとある。
地図を確認すると、確かに昭和58年の地図では郵便局は現在地である字大仏23番地にプロットされる。しかし、昭和48年の地図では現字大仏25番地である洗濯店付近にプロットされているように思う。