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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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泉澤山久盛院

 「郷土史物語」では、地域の有力者の具体的な移転状況が記される。この辺りを散策する者としては、そのこと自体に興味はない。ただ、この事を辿ると地域内の人の流れが見えてくる。こりが現況の風景と関わり合っている事がわかる。
 また、そのような移転状況と考えるかという論拠が示されるわけだが、その示される論拠の部分に散策する者として興味がそそられることがある。
 今回整理しようとしている「泉澤山久盛院」の移動前の地の情報がそれにあたる。

 泉澤山久盛院については「岩代清水の泉と池をめぐる⑯」でふれているが、この時の興味は「双体道祖神」だった。
 その中で、沿革案内にこの寺が慶長(1596~)以来、泉村鎮守鷲神社と八幡神社の祭事に奉仕してきたとあることについてふれた。
 https://kazenoshin.exblog.jp/12123943/
 その久盛院の双体道祖神については「双体道祖神 ④」でもふれている。
 https://kazenoshin.exblog.jp/12193882/

 この寺が祭事を司ったという泉八幡神社については「松飾りを納めた泉八幡神社と羽黒神社」でふれている。明治以降は現在まで羽黒神社宮司が祭事を司っているようでもあった。
 https://kazenoshin.exblog.jp/12012656/
 「松飾りを納めた泉八幡神社」でも、泉八幡神社の沿革についてふれている。
 https://kazenoshin.exblog.jp/11993723/

 「郷土史物語」の地域の有力者移転先の情報から、この寺が泉村から南沢又村の地に移られたことの詳細情報が拾える
 その経緯については「地頭」の項でふれられる。その中に、この寺の泉村旧地は乙天堂の香蓮庵であった事が記されるのだが、その具体的な位置については「壱岐氏、泉から沢俣に移る」の項で記されている。
 散策を中心とする者としては、こちらを先に整理しておきたい。

 「伊達晴宗の采地下賜録」では上名倉在家とされる富田一族が天正の頃に泉に移られたのではないかとする根拠とする中に香蓮庵の位置情報が含まれている。その中から香蓮庵情報に焦点を当てて拾ってみる。

 その壱岐氏と富田氏の旧墓碑がある清水内屋敷の南端が、香蓮庵の墓地の一端なのだそうだ。その位置を「今の熊阪医院の道向かい」とも記される。
 現況では、その熊阪医院は分からないが、清水内屋敷の南端の道向かい付近に病院だったのではないかと思わせる建物は現存する。
 この辺りに、泉澤山久盛院の前身である「香蓮庵」があったということだ。

 先日、実際に現地に出かけてみたら、確かにそのような風景に出会うことができたのだ。
by shingen1948 | 2019-09-06 09:02 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)