独国和尚の墓碑情報④
2019年 08月 07日
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独国和尚は福島の塩沢家で示寂される。
和尚は文政13年(1830)5月21日63歳で没するわけだが、「福島市史」がいう「中町の塩沢無涯」家に止宿中の出来事だった。
この塩沢無涯(利作)氏は独国和尚に深く帰依していて、28年の間常に随身していたとのことだ。
訃報を女川に飛ばしたのも荼毘に付したのもこの無涯(利作)氏だったとのことだ。
「信夫の里の狐達21~信夫の里の独国和尚⑦」では、無涯(利作)氏が金福寺とともに、常光寺にも独国和尚の遺骨を分骨埋葬の労をとったことについてふれた。
「郷土史物語―澤股邑など(斎藤義一)」では、この常光寺への分骨にはふれず、無涯(利作)氏が金福寺、亀岡大聖寺、平の指塩、女川補陀閣の五か所に分骨埋葬の労をとったとした。
つまり、独国和尚の遺骨はこの6か所に分骨埋葬されているという事なのだろうと思う。
ここで、散策の反省をしなければいけない。
というのは、今まで独国和尚の墓碑情報を追う事に集中していたのだが、大切な事は、金福寺の独国和尚の墓碑があった所には、和尚の遺骨も埋葬されているという事にも思い至らなければいけなかったということだ。
「郷土史物語―澤股邑など(斎藤義一)」が地元誌らしいのは、この塩沢無涯(利作)氏宅情報にも詳しいことだ。「福島市史」では中町とするが、そのご子息が宮町17から宮下町20に移り、卸町の繊維会社もかかわるらしいとの情報を得る。