独国和尚の墓碑情報③
2019年 08月 06日
その大部分は、地元ならではの詳しい情報で、今まで曖昧だったところを補完してくれるものだった。ただ、一か所気になったのは、独国和尚は、金福寺には三十三観音は建立しなかったとする紹介だ。ちょっと気になった。
確かに金福寺には女川や平の奥の差塩のように大規模な三十三観音は存在しない。しかし、「信夫の里の狐達⑱~信夫の里の独国和尚④」で整理したように、地蔵堂の北側の石塔等をそれと見る見え方があるようで、その見え方も悪くないと思えるのだ。
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事実としては、付近の路傍の石仏等をここに集められた可能性もある。ただ、地域の古老の話として、ここの三十三観音は、地蔵堂の右側(北側)に高さ1尺2・3寸の観音像が30余体並列してあるという見え方も大切にしたいようにも思うのだ。
少なくとも地域の古老の方々は、独国和尚に随身した無涯氏が差塩良々堂では西国三十三観音を巡礼し、西国のご本尊と同じ形の石仏と十六羅漢を移して、西国三十三観音の堂下の土を携帯して定礎に収めたという事をご存じのはず。
小規模ながら差塩良々堂と同じような経緯でできた三十三観音かもしれないという可能性を感じればいいのか、地蔵堂の右側(北側)の石仏の並びからそれを想像すればいいのかは分からない。
ただ、ここには三十三観音の聖地を造設する精神というようなものが受け継がれて詰まっていたという風にも感じられるということだが、どうだろうか。