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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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ニュースより~日新館天文台跡が天文遺産第1号に

 前回、福島市の武徳殿とのかかわりで「仙峡閣が登録有形文化財(建造物)に登録」の報道について整理したところだ。
 ついでに、「会津日新館天文台跡」が日本天文遺産の第1号に認定されたことについても整理しておこうと思った。
 各報道がこの事を報じたのは半年前の3月だ。ネットでは県内の各報道記事は確認できなくなったが、以下の河北新報の記事が今でも確認できる。
 https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201903/20190314_63005.html

 「<天文遺産>会津日新館天文台跡が第1号に 江戸時代建造、国内で唯一現存【河北新報2019/3/14】」
 
 「日本天文学会は13日、新たに設けた日本天文遺産に会津若松市の会津日新館天文台跡など2件を認定したと発表した。江戸時代に国内で10基ほどあったという天文台のうち唯一の現存で、歴史的価値の大きさが評価された。
 天文台は、1803(享和3)年完成の会津藩校「日新館」の施設としてほぼ同時期に建造されたとみられる。上底約10メートル、下底約22メートル、高さ約6.4メートルの台形の構造物で南側半分だけが現存する。
 当時は観台(かんだい)と呼ばれ、上部に上って星の観測などをしたらしい。文献が少なく不明な点は多いが、日本独自の天文学の発展を示す重要な史跡と認められた」

 他の一件は、公益財団法人冷泉家時雨亭文庫(京都市)所有の藤原定家(1162~1241年)の日記「明月記」(国宝)とのことだ。

 他の報道とも照らし合わせると、江戸時代の天文台は、幕府や水戸藩、薩摩藩などにもあったのだが、構造物が現存するのはここしかないということのようだ。
 江戸時代の天文台は近代の天文台とは異なり、星の観察のほか、暦の基準となる冬至を確定するため、太陽の動きを計測したりしたという。
 その天体の位置を測定し、正確な暦を目指したという当時の日本の天体観測の様子が体感できる貴重な遺跡ということが評価されたということのようだ。

 この「会津日新館天文台跡」は、会津藩校「日新館」に併設された天文台だ。
 先に、大河ドラマ「八重の桜」視聴とかかわって、会津藩校「日新館」を実感する手段として家族を案内して散策した事を整理している。

 〇 八重の桜番外編~天文台跡を訪ねる
 https://kazenoshin.exblog.jp/18360617/
 〇 八重の桜番外編~天文台跡を訪ねる②
 https://kazenoshin.exblog.jp/18371710/
 〇 八重の桜番外編~天文台跡を訪ねる③
 https://kazenoshin.exblog.jp/18375671/

 案内板には「江戸時代の天文台は近代の天文台とは異なり、星の観察のほか、暦の基準となる冬至を確定するため、太陽の動きを計測したりした」ということにかかわる以下の解説があるのだが、見逃している。
 「天文台は、つねに星の観測をするところであったが、特に、毎年、冬至の日には、学校奉行、天文方の師範・暦家が集まり、晴雨・考暦を編したところで、重要な施設の一つであった」

 会津若松市は今回の認定を機に見学しやすい周囲の環境整備に努めるとのことなので、近寄りがたくなって「当時の日本の天体観測の様子が体感できる貴重な遺跡」という側面が薄れる可能性はありそうだなと思うが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2019-07-27 10:27 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)