人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑬

 先に「信達ニ郡村誌」を参考資料として浜田町付近を散策したことがあった。この時に「信達ニ郡村誌」の小字名と現在の地区名が違っていて散策しづらかった。それで、地図上に腰浜村の小字の位置を推定したことがあった。
 それを「奥州街道浜田町付近④」で整理している。
 https://kazenoshin.exblog.jp/14780170/ 

 今回腰浜町辺りを郡家遺跡とかかりで資料確認をしていて、これが少しずれていることに気がついた。修正する。
 1908年と1931年の地図では東宿が表記されるのだが、これを1972年以降の地図と重ね合わせてみると現福島成蹊中学校の校庭辺りと重なるようなのだ。
 また、「福島市史」で、腰浜廃寺遺跡と北宿が重なるとの表現もみている。ということで、この宿がかかわる小字を全体的に東に移動させたい。

 まずは、稲荷神社近くを東宿としたプロットを福島成蹊中の校庭付近に移動する。その道路を挟んだ向かい側を「北宿」とする。
 次に、昭和2年の福島市実測平面図と照らし合わせると字東宿の南側が字南宿で、その道を挟んだ西側が字西宿となっている。従って、福島成蹊中の校舎の辺りから福島成蹊高校前の通りまでが「南宿」ということで、その道を挟んだ西側を「西宿」とする。
 ただ、「上宿」は字西宿と福島成蹊高校前の通りを挟んだ南側ということなので、先にプロットした位置のままということになる。
 五反田と畑中は、北宿と東宿を基準にしてプロットしているので移動する。「畑中」は「北宿」の北側に、「畑中」は「東宿」の北側に移動する。
 他の小字は奥州街道とのかかわりでプロットしているのでほぼそのままでよいのだが、若干ずれもあるので少し修正する。
 字南五郎内は八子病院付近で、そこと字五反田の間に字新屋敷が入る。したがって、旧福大がおおよそ字高田北ということになるようだ。

 今度は、これと江代正一氏が描く古代道とを重ねてみる。
 宿を挟んだ道筋が前期の古代官道と推定するようだ。更に「奥州街道浜田町付近④」で宿を挟んで描いてしまった道筋が中世の街道と推定しているようだ。
 ただ、「福島市史」ではたとえ腰浜町辺りを郡家遺跡とかかわるとみたとしても、ここに官道が走っていたとする必要はないというように表現しているのをみたような気もする。また、北宿と腰浜廃寺遺跡の位置が重なることを、腰浜廃寺消滅後の出来事と捉えているようだ。
 これを江代正一氏は信夫郡寺となる前と捉えているように思える。なお、江代正一氏が描く古代道では腰浜廃寺を東宿と重ねているようだが、ここはよく分からない。
 私寺時代と読めばよいのだろうか。
by shingen1948 | 2019-07-21 12:05 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)