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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑧

 「散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報③」では「房の内古墳」と案内される屋敷神について、古墳情報とのかかわりで整理してみている。それが「八郎内の七ツ塚」の一つでもあるという情報だった。

 ここに建つ案内柱には「八郎内の七塚(七塚の内未発掘の古墳)」とある。
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 ここは八郎内地区であり、その地区内の七塚の一つという案内に引かれてやってきたということだ。
 「福島市の遺跡」の「八郎内遺跡」案内によれば、八郎地区のかつて3つの古墳があったと言われる場所は現在畑になっているとのことだった。
 その中の一つの古墳が調査されたということのようだった。この古墳の墳丘は壊されていて、周りの溝だけが残っていたということだった。
 ここは「福島市の遺跡」で案内される八郎内の3つの古墳のうちの一つなのだろうと想像する。その中の未発掘の古墳という事なのだろうと思う。

 案内柱の解説では、地区の言い伝えではこの七塚は7代にわたり支配した長の墓といわれていることを紹介している。また、カンカン石についてはその用途は合図に用いられたとしている。
 先の整理では「カンカン石」は古墳の蓋石で、たたくとカンカンと音が響いたというのは石室の空洞とのかかわりとしたところだった。

 この案内柱の解説では、その前に「古墳時代後期(1400年前)の集落跡、古墳等発掘」とある。これは「八郎内遺跡」についての解説で、「福島市の遺跡」の「八郎内遺跡」案内情報と重なるのだろうと思う。

 この発掘調査は東北建設協会福島支所建設に伴う事前調査のようだ。ということは、その位置は東北地域づくり協会福島支所の敷地あたりということだろうと思う。この直ぐ南側だ。
 ここからは、竪穴住居が見つかり、古墳時代後期のむらのあとでることが分かっているとのこと。竪穴住居の中には村の有力者の家と考えられる大きな家もあったという。また、火災住宅跡2軒を検出したとも。
 それと、先に記した古墳の周溝跡がみつかったということだ。
by shingen1948 | 2019-06-27 09:43 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)