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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑤

a0087378_911549.jpg マホロンの遺跡データベースで検索すると、このあたりが岩山古墳群とのことで見当をつけた。しかし、いろいろな情報を確認していくと少し位置がずれているようだ。
 この南側が駐車場になっているのだが、その前の辺りに3基の古墳があるらしい。
 いずれにしても、この季節では確認はできない。冬近くならその雰囲気の風景が眺められるのかもしれない。

 この写真の左手に写るフェンスの手前の道筋を進むと田沢道の主道に出るのだが、その黒岩村方向にちょっと進むと、西手に進む道筋がある。その道筋を西に進んだ右手が諏訪平古墳群で、以前は4基の古墳が確認できたが現在は2基の古墳が確認できるという。
 これ等の古墳も弥生公園の2基の古墳のような形状を原型としてイメージするようだ。

 今まで確認してきた浜井場、二ツ石地区の鳥谷野の古墳や、黒岩村の房ノ内、八郎内地区の古墳も含めて、この辺りの古墳の原型と広がりがイメージされてきたように思う。

 そうすると、「黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑰~帰り道⑥」でふれた浜井場古墳の平成14年(2002)の調査では後期の前方後円墳の跡がみつかったとの情報は特筆すべき情報という事になる。
 https://kazenoshin.exblog.jp/239158895/
その詳細情報を再掲し、更に「浜井場古墳群について(柴田俊明)」の解説から読み取った事を付け加えておく。

 その墳丘長さ約22m、後円部直径15mとのことだ。
 古墳の盛り土は全く残っていなかったという事で墳丘の高さは不明ということのようだ。これは、古墳に沿った巾1~4mの溝からの推定のようだ。
 被葬者を埋葬する施設は後円部で確認できたようだ。
 南側に開口する前長5.4mの横穴式石室だったとのこと。玄室と羨道からなる構造で、玄室と羨道の境には仕切石が確認できたという。玄室の長さは3.22m、幅90~98㎝、羨道2mだったという。 奥壁や石室の側壁石などはほとんどが開墾等で消失していたが、その石室からは勾玉6点・ガラス玉13点・鉄の斤2点・鉄の鏃2点や鐔などが出土したとのことだ。
 なお、浜井場古墳群の主墳と思われるこの前方後円墳と明治43年調査古墳との関係は不明とのこと。

 ちょっと観点がずれるが、「最近の発掘調査から(柴田俊明)」で、学壇古墳群について特筆すべきこととして解説されるのは、旧石器時代の石器の発見だとする。福島市内では貝沼遺跡などの数遺跡しか知られていないとのことだ。
by shingen1948 | 2019-06-22 09:14 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)