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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報②

a0087378_9413374.jpg これは、山崎地蔵菩薩堂で見かけた石だ。
 無造作に置かれていて案内もない。しかし、いくつかの資料を読み合わせてみると、浜井場古墳の石室とかかわるかもしれないと考えられているものなのだろうと思う。

 その資料の一つが「明治期の杉妻村のこと~新聞資料からの抜き書き(杉妻公民館長太田隆夫)」。

 まずは、浜井場古墳の出土品が博物館に寄贈された時の以下の新聞記事が紹介される。
 「博物館へ古器を寄贈す【福島民友(明治43/12/21)】」
 「信夫郡杉妻村森谷弘三氏は、居村大字黒岩字浜井場に於いて発掘したる拵付太刀刀身残片 轡(くつわ)残片 鈴釧(すずくしろ) 勾玉硬石製二個 同瑪瑙製二個及び勾玉残欫青色玻璃製を 東京帝室博物館に古器の資料として寄贈したるを以て 過般同館総長股野琢氏より謝状を贈らる」

 次に、この事にかかわっていくつかの事項について解説される。この中で、轡(くつわ)残片の出土品が貴重だとする見解が面白いと思うが、詳細は略す。
 この後で、浜井場古墳の現況について次のように記される。
 「浜井場古墳の石室に使用されたと思われる大石が散乱していたことから、横穴式石室を持った円墳であったらしく、この辺りから土師器の前期である和泉式に属する土師器が出土している」
 注目は、ここに「浜井場古墳の石室に使用されたと思われる大石が散乱していた」という情報だ。 更に、明治23年1月の福島師範学校犬塚又兵という方の発掘調査以前の記録が紹介されるが、ここでも以下のように浜井場古墳の石室に使用されたと思われる大石が散乱にかかわることが読み取れる。
 「村家の間にあるものは盛土壌して蓋石を露す」

 次の資料が「浜井場古墳群について(福島市教育委員会文化課長柴田俊彰)」だ。
 これは、平成14年に福島市振興公社によって実施された発掘調査について解説されたものだ。
 今回の大石とかかわるのは、その本文に付記された「古墳群石室に使用された大石(板石)の保存」にある次の紹介だ。
 「現地に使用されていたと思われる大石三個は明治時代よりそのままとのこと。埋没させるには心残りとその大石を重機により満願寺別当所山崎地蔵堂境内に移動しました。」
 
 その大石三個の写真も掲げられているのだが、その写真とも見比べて、最初に掲げた写真の大石三個が、明治時代の発掘調査以来散乱していた「浜井場古墳の石室に使用された大石(板石)」でないのかなと推測しているという事だ。
by shingen1948 | 2019-06-19 09:45 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)