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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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黒岩虚空蔵堂・満願寺散策36~鹿島神社③

 多分どうでもいい事なのだと思うが、「神祇志料(栗田寛)」に記される祭日と境内に掲げられる「延喜式内社正一位郷社鹿島神社由緒」の案内板に記される祭日が一月違う。
 「神祇志料(栗田寛)」では「凡其祭九月九日之を行ふ」とするが、案内板では、「例祭日十月第一日曜日(旧十月九日本祭り)」とする。

 現在の社殿は鉄筋コンクリート造で、散策する者としては趣的に残念に思うが、その社殿の履歴を見ると、管理上仕方がないのだろうなとも思う。
 由緒とこの履歴と照らし合わせると、その重要なポイントが天明元年(1781)4月社殿焼失の翌年同2年(1781)2月に拝殿が建立されたことにあることが分かる。
 この天明2年(1781)2月の拝殿建立は鳥谷野羽田喜三郎氏がかかわるとあり、その七月に「正一位」の勅宣奉授を授けられとある。その折に、京都より神輿を購入したともある。

 ちょっと深入りしているのは、この写真とのかかわりだ。
黒岩虚空蔵堂・満願寺散策36~鹿島神社③_a0087378_10161282.jpg この「杉内地蔵堂と六部の墓」を撮ったのは先の散策の折で、これを整理するつもりもんかったのだが、注目は以下の解説だ。

 「『杉内地蔵堂と六部の墓』
 羽田家が移り住む享保7年(1722)以前より安置されており、子育地蔵として深く信仰されている。
六部の墓は鹿島神社信州高遠石工とつながりがあり、無縁の母の墓であるが羽田家が先祖より丁重に供養している」

 杉内地蔵堂そのものよりも、ここに登場する羽田家が、鹿島神社石工とのかかわりで六部の墓を供養しているということとのかかわりで、拝殿建立の鳥谷野羽田喜三郎氏ともかかわるのかなという勝手な想像が働いたのだ。

 また、年代が合わないのだが、古本の検索で、この鳥谷野羽田喜三郎氏と同姓同名の別情報がかかる。
 羽田暁雲斎という弘化元年(1844) 岩代国信夫郡杉妻村鳥谷野生まれの華道家の本名が、羽田喜三郎ということだ。
 かかわりがあるのかどうかは分からないのだが、鳥谷野地区がそれほど広い範囲ではないので気になる。

 なお、ここで六部の墓とある「六部」は、本来は日本回国大乗妙典六十六部経聖を指すようだ。
 ただ、案内から行脚僧ではなく俗人であるように読み取れる。
 特に江戸時代以降には、この諸国巡礼が俗人にも流行ったそうだ。
 鼠木綿の着物と手甲、それに脚絆、甲掛、股引をつけて、背に仏像を入れた厨子を背負って鉦や鈴を鳴らして米銭を請い歩いていたという。
 この「六部の墓」は、その巡礼途中で亡くなった方ということなのだろうと思う。
by shingen1948 | 2019-05-01 10:19 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)