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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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黒岩虚空蔵堂・満願寺散策33~小原集落⑦

 黒岩村がまだ独立していた頃、黒岩村の道路元標はここ宮ノ下に建っていたという。
a0087378_18353085.jpg 黒岩村の主道は、ここを起点にして三本の道筋だったという。
 その一本が、宮ノ下から満願寺門前の上の町に登り、南の学檀の山から田沢・浅川・松川に向かう田沢道との事。
 次の一本が、ここ宮ノ下から西に進む道筋で、この道筋が関根を経て大森方面に向かったという。所謂大森道だ。
 そして、もう一本が、ここから北に向かう鳥谷野道だ。

 前回整理したように、今度の散策では、南福島ニュータウンの道筋から小原集落に向かう道筋を見つけたわけだが、この道筋が半沢氏の「歴史地図」で紹介される黒岩村から小原集落に向かう道筋と重なるのだろうと思う。
 帰りは、その道筋を道なりに北に進んできた。
 ちょっと不安になる頃、見覚えのある上の町に入り、右手に黒岩満願寺を見ながら坂を下り、ここに着いた。
 これが、田沢道に近いのではないのかなと思うのだ。
 この田沢道が気になる。

 「黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑫~帰り道」でふれたように、この地区の西側には奥州街道が通るので、この地区の散策時には、主要な道筋としてそちらを意識して引きずられてしまう。
 しかし、こちらの整備は天正末から慶長時代以降の話だ。
 それ以前は、渡し場のある鳥谷野館のある仲之内集落が、この川俣―大森間の主要な道筋の要であったということのようなのだ。
 黒岩村の主道の一本が、ここに繋がっている。
 奥州街道が通る以前まで想像を広げれば、鳥谷野から黒岩村を経由して田沢に向かうという田沢道の重要性が増すように思えたのだ。

 今回の散策では、田沢村側の団地のバス通りから黒岩村側の南福島ニュータウンの道筋に入ったのだが、この道筋とその田沢道とは、結構近いのではないかなと思っている。

 実は、田沢村側の団地である桜台団地ができたての頃、その辺りを何度か散策した事があったのだ。
 その時に、団地の奥の南に向かう道筋について尋ねた記憶があるのだ。この先に田沢小学校があると聞いた記憶だ。当時の田沢小学校は、現清沢運動場のはずだ。
 また、この団地入口からゴルフ場に進む道筋の右手が発掘調査中だったという記憶もある。
 これらの道筋は、元々あった道筋のようなのだが、今回地図で確認すると、この道筋が団地のバス通りになっているようなのだ。

 今回の散策では、この道筋の先と半沢氏の「歴史地図」で黒岩村から小原集落への道筋として描いた道筋を目指して南福島ニュータウンの道筋を進んできている。
 南福島ニュータウンの道筋と田沢道との重なりは曖昧なのだが、それでも、それ程のずれてもいないのではないかとも思うのだ。
by shingen1948 | 2019-04-24 18:48 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)