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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑱~帰り道⑦

 浜井場古墳群の辺りからここにやって来た道筋越しに戸ノ内集落を見ている。
黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑱~帰り道⑦_a0087378_15144820.jpg 満願寺駐車場に建つ顕彰碑の方の本家筋にあたるとしたお宅が見える。
 案内柱にある明治43年当時の杉妻村長は、顕彰碑の方の御長男のようなので、本家筋に当たられるお宅の東側のお屋敷にお住まいだったと想像している。

 マホロンの遺跡分布図を参考に、この辺りの古墳時代から平安時代にかけての遺跡を確認する。
 房ノ内遺跡がプロットされるのは戸ノ内集落の南側だ。
 「黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑫~帰り道」で黒岩字戸ノ内の集落を撮っているが、その写真を撮っている辺りだ。
 ここは調査が行われているようだが、ここも店舗建設に伴う調査だったのではないかなと想像する。
 房ノ内古墳群がプロットされるのは、戸ノ内集落と房の内集落の境界線の道付近のようだ。
 また、房の内遺跡の南側には八郎内遺跡・八郎内古墳群もプロットされる。こちらも古墳時代から平安時代にかけての遺跡のようだ。
 更に、この浜井場古墳群の北の広い範囲にわたって、二つ石遺跡がプロットされる。そして、この古墳群の西には浜井場遺跡がプロットされる。

 浜井場古墳群の位置が確認できて、そこから周りを見回してみれば、この周囲は古墳時代から平安時代にかけて遺跡が集中していることが分かる。

 先に、宮ノ下から阿武隈川沿いに鳥谷野に向かう黒岩村の道筋と阿武隈川の間の本内・八郎内・房ノ内・戸ノ内集落が、鳥谷野の仲之内集落やその近くの集落も含めて、中世在家らしいということを確認したところだった。
 浜井場古墳群の確認で、中世在家の集落との連続性は分からないが、この辺りではそれ以前の古墳時代から人々の生活が脈々と営まれ続けていたということが分かる。

 その上で、今までの春日神社、虚空蔵堂、大蔵寺などの散策を振り返ると、時代の重みのようなものが伴った見え方になっているような気がする。
by shingen1948 | 2019-03-21 15:17 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)