黒岩虚空蔵堂・満願寺散策
2019年 02月 23日
というのは、若い頃にこの近所に住んだこともあり、それとは別の時期に勤務地が近かったということもあって、ここにはよく来ていたのだ。
その勘違いに気づいて、「黒岩虚空蔵の算額」探索余談として、黒岩虚空蔵堂・満願寺にかかわる地域散策情報を整理してきた。
これは、最近その情報をもとに自分なりの散策をしてみようと思って訪ねた時に撮った黒岩虚空蔵だ。
その散策を整理する前に、ドナルド・キーン氏の「福島しのぶ紀行」で、この黒岩虚空蔵堂にふれていることを確認しておきたい。
氏については、親日家であるといった程度しか知らなかった。それが、家族の中で話題になったのが、東日本大震災発生に伴って日本永住を決意されたというニュースだった。
89歳というご高齢でニューヨークの自宅を引き払い、日本国籍を取得して、日本永住を決意されたというのだ。この決断を、単に親日家という範疇でとらえきれなくなったのだ。
それで、氏に係る情報を目にすると確認するようにしていたのだ。
今回、黒岩虚空蔵堂・満願寺散策情報を確認していて、「独りよがりのつぶやき」のブログの「黒岩虚空蔵堂 その8」に、氏が満願寺を訪れているという情報をみつけた。
http://dajaro.blog40.fc2.com/blog-entry-658.html
さっそく、「日本細見(ドナルド・キーン)【中央公論社】」を借り、その「福島しのぶ紀行」を家族間で回し読みしたのだ。
前回の整理で、都の人々が陸奥という言葉には特有の感覚を抱くらしいことについてふれた。その感覚を追体験的しようと東北に入る方々にとっては、「白河の関」には、その陸奥と都から連続する世界との境界というシンボリックな意味を持つようなのだ。
その白河の関を散策した歴史好きな方々は、次の散策地には会津を選ぶことになるようだ。
「街道をゆく(司馬廉太郎)」も、その33で「白河・会津のみち」という構成にしている。このシリーズでは、白河から仙台までの間は実際の散策ではなく、念頭で奥の細道訪ねた風な整理になっている。
「福島しのぶ紀行」によると、ドナルド・キーン氏も「白河の関」の次の散策地として会津を目指したようだ。
それでも、福島に立ち寄ることになったのは、岩瀬書店の岩瀬太一氏に会津若松見学の前に福島市にも立ち寄ることを勧められ、案内されたからとのことだ。
「白河の関」を散策したのが昭和30年で、それから23年後の7月の散策とのことなので、昭和53年7月ということだろうか。
福島市に入って、「奥の細道」にかかわる史跡である信夫文知摺と医王寺訪れたようで、結果的に「紅毛奥の細道」で抜けた散策を補うことになったということのようだ。
他に、大蔵寺とここ黒岩虚空蔵堂も散策したようなのだが、その中で一番気に入ったのは、黒岩虚空蔵の景色だったとして以下のように記される。
「福島で一番気に入ったのは、黒岩虚空蔵の景色だった。虚空蔵は、どれも特に景色のきれいな場所に建てられているという話を聞いて、京都嵐山の虚空蔵に思いあたった。黒岩虚空蔵は、阿武隈川の渓谷を見下す崖の上にあり、その眺望たるや最高だ。寺院の裏へ回ると山の斜面に十六羅漢の石像がある。いずれもその自然の環境の中で、まったく実物かと見まごうばかりに配置されている。まるで石像にとって、そこで黙想することほどふさわしい行為はないかのようだ。たとえ石と化することを望まないにしても、ここは瞑想の場としてすばらしいところとなるだろう」