地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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黒岩虚空蔵堂~満願寺②<「黒岩虚空蔵の算額」探索余談>

 福島の伊達氏ゆかりの満願寺という見方にはいくつかの仮説に基づく。従って、そこには曖昧さが残るのだが、それゆえに面白いと思う事もある。
 近くの寺々の移動情報と絡ませてみる。

 まずは、大蔵寺情報と絡ませてみる。
 「福島の伊達氏(津島亮資)」では、黒岩の満願寺が直接的にこの福島の伊達氏ゆかりの満願寺だという見え方を示す。しかし、「ふくしまの歴史中世」では福島の伊達氏ゆかりの満願寺は、信夫郡小倉寺にあったとの見え方を示しているのだ。
 その上で、その満願寺と黒岩の満願寺の関係性が想像できることを示しているのだ。

 このことと関わりそうなのが、大蔵寺の移動情報だ。
 この移動情報は、先に大蔵寺を散策した時に、「弁天山⑧~川俣旧道と大蔵寺」として整理している中にあるのだが、それ程注目していたわけではなかった。
 https://kazenoshin.exblog.jp/9086676/
 その情報は、案内される解説にある以下の部分だ。

 「江戸末期まで、阿武隈川の西岸に300石近い大蔵寺村があり、この寺の御朱印地だったと言われていますように、寺は初め大蔵寺村にあったと伝えられています。それが東岸に移り、更に、ここ小倉寺山の観音堂とともにあるようになったのはいつからかは明らかではありません」

 ここからは、その別当寺が在ったかどうかは分からないが、少なくとも先に小倉寺に観音堂があったというふうに読み取れる。そこに、対岸の大蔵寺村から寺が移動してきたとの読み取りだ。

 今回訪ねた黒岩の満願寺山門を入ったところにある「旧大蔵寺門前の古碑」は、その対岸の大蔵寺村にあった寺がかかわっていそうだ。
 その案内には以下のように解説される。

 「小倉寺大蔵寺は住古、阿武隈川の西にありと伝えられ、旧大蔵村方郎内(現田部屋)の寺跡に残っていた但一基の古碑、碑文「昨日雨今日伏拝□□□・・・・・・」

 ここからは、小倉寺大蔵寺は旧大蔵村方郎内にあったことが読み取れ、その旧大蔵村方郎内というのは現字田部屋であることが読み取れる。
 地図で確認すると、現字田部屋は現ヨークベニマルや黒岩青少年会館の辺りになるようだ。あの辺りの風景を思い出すと、黒岩青少年会館の辺りに旧大蔵寺所在地をイメージできそうに思うが、どうだろうか。

 今回の情報確認で次に気になったのが、満願寺とかかわる伊達(6世)基宗氏の前代伊達(5世)宗綱氏の戒名が「金福寺殿浄方真西大居士」とあることだ。

 この金福寺に係るのかどうかは知らないが、思い浮かぶのは先に「信夫の里の独国和尚」で整理した沢又村の金福寺だ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/21247542/
 この寺、「信夫の里の狐達⑮~信夫の里の独国和尚」の写真に写る案内柱の解説にあるように、清水小学校(旧沢又小学校)の発祥の寺でもある。
 独国和尚の墓碑もまだ確認できていないのに、もしかすると金福寺殿もかかわるのではないかなという妄想も……。
by shingen1948 | 2019-02-09 16:11 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)