黒岩虚空蔵堂~虚空蔵詣り<「黒岩虚空蔵の算額」探索余談>
2019年 01月 28日
その上流からこの丘に向かう流れを虚空蔵堂の南側から眺めることができる。
虚空蔵堂の西側には、虚空蔵尊が丑寅生まれの守護仏ということで、定番の「なで牛像」と牛と虎の石造が配置される。
虚空蔵堂の前に立つ案内板の解説の末尾に「十三詣りも、仏の徳にあやかろうとする行である」とある。十三参りも行われていることを伺うことができるが、その詳細は記されない。
半沢氏の「歴史地図」から「黒岩虚空蔵の十三参り」にかかわりそうなメモを拾う。
その一つが、「虚空蔵祭礼」の以下のメモ。
「旧正月十二・十三日、旧七月二十二・二十三日、十三参りと称して、子供の身体加護と学問成就を願う親が十三歳の子を連れて参詣する。丑年生まれの人は、祭の日にウナギを阿武隈川に放流する。」
なお、この祭時には「上の町(門前町)の民家は、祭礼時には道路側のしとみ戸を開けはなち、店を開いた」とのメモもある。
もう一つが、「春日神社」にかかわる以下のメモ。
「かつては春日参りをしてから虚空蔵堂の十三参りをしたとも。上の町の人々は、虚空蔵堂参りをした後、春日神社に礼拝した。それが、明治初年の国家神道政策で神仏分離された」
これに、「胎内くぐり」の案内板に説明されていた「胎内くぐりは、仏徒でもない人たちにもこれを通過することによって、悪さを懺悔し、祓いのぞいて成長するものと信じられ、くぐり抜けるのがこの虚空蔵詣りの行とされてきた」とあることを加えたような風習だったことが想像される。