地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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黒岩虚空蔵堂~十六羅漢像<「黒岩虚空蔵の算額」探索余談>

 虚空蔵堂の東側の丘を中心に十六羅漢像が配置される。
 「虚空蔵堂記碑文」が刻まれた巌の周りにもいくつもの羅漢像が見える。
 その南側にも東側の丘に向かう崖道筋があるのだが、閉鎖されている。

 これは、その道筋を覗き込んで撮ったものだが、そこにも羅漢像が見える。
a0087378_114816.jpg この十六羅漢像については「十六羅漢造立銘碑」によって、その概要が分かっているとのことだ。
 その案内によると、十六羅漢というのは、釈尊の命によって仏法が正しく守られるよう、この世にとどめられた尊者とのことだ。
 その羅漢像がここに造立される時期は、文政3年(1820)の満願寺12世比巌和尚の代とのことだ。長沢勘七らが世話人となって建立したとのことだが、その石工も黒沢村の赤間七右衛門と八丁目の佐藤惣七であることも分かっているという。

 個々の羅漢像の背面には、その尊名と寄進者名が刻まれているとのことで、この羅漢像については次のように説明される。
 この羅漢像は、伐闍羅弗多羅(ばじゃらぶたら)尊者という方とのことだ。寄進者は、福島藩御用達商人の「施主 福島中町加藤紋治良」で、その目的が「為先祖代々菩提」であることが刻まれるが、その居士と大姉の法名は読み難くなっているとのことだ。
 「Open GadaiWiki」によると、この8番の伐闍羅弗多羅(ばじゃらぶたら)尊者の形相は「右肩を袒ぎ竜の一角を把り目を怒らせ歯を切て勇力を出すが如き然り」とのことだ。
 ここの案内では、その形相を「珍しく交脚して腰をおろした像で、右手に払子を持ち、左手は膝頭をおさえるように置いている。この尊者も肋骨が表わに彫刻され修業のきびしさを出しているが、お顔は真理の世界を仰ぐように見上げているようである」と説明される。

 近くには「胎内くぐり」についての案内板も建ち、この道筋にかかわって、次のように説明される。
 「かつてこの通りは、虚空蔵堂からこのさきの崖道を登って、清浄嶺に通ずる古道であった。重なる大石の下をくぐって行くあたりが『胎内くぐり』と呼ばれる場所である。満願寺で修業する人たちには、このくずれかかるような大石の中を通って、清浄嶺に達する峯廻りの修業の場でもあった。この危険をおかして仏の道をおさめる修業場としての胎内くぐりは、仏徒でもない人たちにもこれを通過することによって、悪さを懺悔し、祓いのぞいて成長するものと信じられ、くぐり抜けるのがこの虚空蔵詣りの行とされてきた。いまは崖道の危険から閉鎖されている」

 虚空蔵詣りにかかわる風習が、現代の危機管理の概念と符合せず、この道筋が閉鎖されているらしいことが分かる。
by shingen1948 | 2019-01-19 11:06 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)