地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「黒岩虚空蔵の算額」④

 これは、「森谷岩松翁功績の碑」だ。
a0087378_11593115.jpg 案内柱の説明によると、この方は、明治4年に黒岩村長兼大蔵寺村長となり、後に大森村外18ケ村の村長となり、この地域発展に大きな功績があった方とのことだ。
 この碑は氏の7回忌に合わせて造立されたものとのことだ。
 その前面には、その功績が記され、その裏面にはその造立にかかわった大島要三氏ら17名の発起人とその賛同者 計170名の参加者名が記される。

 「黒岩虚空蔵の算額」が扱っている問題は、和算の最高峰に位する転距軌跡と、それに伴う重心問題を解く豁術の研究成果と位置付けられるとのことだが、ここに記される方々はこの地に平凡に暮らす方々だ。
 だとするならば、明治26年頃学びの年頃だった方々は、この碑が建立された明治45年6月頃には、地域の社会人として活動する年代になっているだろうと思えたのだ。
 それで、この碑の裏面に掲げられる「発起人」と「賛同者」の方々と照らし合わせてみた。
 すると、「賛同者」として、長澤政吉氏・赤間和市氏・長澤辰蔵氏・長澤常治郎氏が確認できた。 また、17名の「発起人」の中に、赤間彦四郎氏、中村熊治郎氏の二人が確認できた。

 17名の「発起人」の中には、信夫地域の時の実力者であった鈴木周三郎氏、内池三十郎氏、大島要三氏、青木金治氏が中心となっている。
 次の小杉善助氏・丹治清五郎氏、花輪利八氏は確認できないが、その次の阿部末之助氏が自由民権運動関係者だ。
 その後に記される大隈實岩氏・大隈宗演氏が満願寺の御住職のようで、その2名後に赤間彦四郎氏が、更にその2名後に仲村熊治郎氏が記される。
 この地域の代表として「発起人」に名を連ねたということだろうと思う。

 賛成者も、その上位には、角田林兵衛氏、内池三十郎氏、河野広中氏などの信夫地域の時の実力者が名を連ねる。長澤政吉氏・赤間和市氏・長澤辰蔵氏・長澤常治郎氏も、この地域の代表として名を連ねたということだろうと思う。

 なお、「黒岩虚空蔵の算額」で中村熊治郎とされる方と「森谷岩松翁功績の碑」で仲村熊治郎とされる方が同じ方だろうとの想像だ。「森谷岩松翁功績の碑」では「中村」氏は存在しない。すべてが「仲村」だ。

 自分の中には、時代と共に教養が高まってきたという思い込みの文化認識がある。しかし、今の時代の自分には、この地に平凡に暮らしていた方々の数学力に対応できる力を持ち合わせていないことが分かる。
by shingen1948 | 2019-01-06 12:01 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)