地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「黒岩虚空蔵の算額」②

 「黒岩虚空蔵の算額」は、先に整理した「最上流宗統派の系譜」とのかかわり眺めている。

 その初代は渡辺一氏で、最上流としては2伝。それが完戸政彝(まさつね)氏に継がれる。最上流としては3伝だ。
 それが、信夫地区の金沢村の丹治重治氏に受け継がれる。最上流としては、安政4年(1857) 4伝の算法印可を受ける。
 明治17年(1884)には、その門弟だった浅川村舩橋の尾形曠斎氏が5伝の算法印可を受ける。
 明治38年(1905)には浅川村下中沢の長沢保斎が6伝の算法印可を受ける。
 それを杉妻村黒岩の長沢辰蔵氏が7伝となって引き継ぐのだが、ここで後継者なく、最上流が途絶える。

 「黒岩虚空蔵の算額」は、その「最上流五伝曠齋尾形貞蔵悦」の算額ということだ。ここで気になるのは、6伝の長沢保斎氏と7伝の長沢辰蔵氏がどうかかわるかということだ。
 前回確認した「曠齋門人として長澤忠兵衛氏」と「長澤忠兵衛門人として長澤辰蔵氏」とあるのが、これを意味している。

 先に整理した事だが、長沢保斎氏の碑文は次のように始まっていた。

 長澤保齊翁碑
 保齊翁通稱忠兵衛長澤氏信夫郡金谷川村淺川字中澤人也以
 嘉永元年四月生其家為考諱孫𠮷妣同氏翁生而穎悟特徴数理

 「長澤忠兵衛」は6伝の長沢保斎氏の通称ということだ。つまり、「曠齋門人として長澤忠兵衛氏」とあるのは、「5伝の尾形曠斎氏の門人である6伝の長沢保斎氏」と読めるし、「長澤忠兵衛門人として長澤辰蔵氏」とあるのは、「6伝の長沢保斎氏の門人である7伝の長沢辰蔵氏」と読めるという事だ。

 地域を散策するものとしては、ここまでの興味でしかなかったのだが、「最上流宗統派の系譜」を整理する中で、新たな見え方がある事を知った。
 この算額が扱っているのは、和算の最高峰に位するといわれる転距軌跡、それに伴う重心問題を解く豁術の研究成果と位置付けられるとのことだ。

 幕末の数学者で算変法の創始者として名高い法道寺善という方が、慶応2年に福島にやってきたそうだ。
 氏は、三春の佐久間家と松川の丹治家でその門人たちに2年間直接教授したとのことだ。そこから明治20年まで純然たる和算の方法で転距軌跡の問題を解くというその研究実績が目覚ましいものとのことだ。
 「佐久間文庫」解説で、「和算の最後の花」と表現するのは、この事を指しているらしいのだ。

 この算額は、その松川の丹治家にかかわる門人たちの研究成果の具現化されたものという見方ができるらしいのだ。
 なお、「和算『最上流宗統派の系譜』から⑯」で整理した明治24年4月に福島市立子山の稲荷神社に奉納された算額は、全国的には、法善寺善の門人達の算額という見え方があるようだ。
 その算額の題は「最上流宗統四世 明齋 丹治重治撰」。
 その算額にかかわる方を再掲する。
 上段に以下の方々の名が見える。
 安達郡沼袋 熊坂甚太・安達郡沼袋 國嶋彦八・信夫郡金沢 須田松五郎・伊達郡飯野 高橋藤吉・安達郡沼袋 野地伊三郎・安達郡下川崎 渡辺庄八・信夫郡金沢 菅野又治郎・信夫郡金沢 渡辺又七・信夫郡金沢 斎藤与惣右衛門・信夫郡松川 鈴木佐太郎
 その下段には、以下の方々の名が見える。
 信夫郡金沢 半澤子之吉・安達郡下川崎 野地勘之助・信夫郡金沢 丹治次郎蔵・信夫郡金沢 須田吉六・信夫郡金沢 渡辺勘之丞・伊達郡立子山 高橋千代吉・明齋丹治子通 信夫郡金沢 思齋丹治重満・信夫郡浅川 曠齋 尾形英悦 □印〇印・最上流五伝曠齋尾形英悦門人 信夫郡浅川 長沢忠兵衛

 信夫郡浅川 菅野徳衛門 謹写
 安達郡沼袋 菅野 与市 謹書

 「黒岩虚空蔵の算額」と重なるのは、「信夫郡浅川 曠齋 尾形英悦」氏と「信夫郡浅川 長沢忠兵衛」氏だ。
by shingen1948 | 2018-12-30 12:14 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)