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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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更にもう一つの奥の細道⑧

 後に正岡子規氏は、蕉風俳諧を月並み俳諧文学的と攻撃されることになる。
 「はて知らずの記」の子規氏が郡山あたりで、その前兆的な兆しをみせている。正岡子規氏が瑞巌寺を訪れるのは、その後の流れだ。
 それで、正岡子規氏の一具氏評を確認しているところだ。

 前回は、「子規手製俳句カルタ」で正岡子規氏の一具氏評価を推定した。
 他に正岡子規氏の一具氏評価の推定ができそうなのが、「獺祭書屋俳話」かかわりだ。
 獺祭書屋主人こと正岡子規氏が、新聞「日本」に掲載された俳話のようだ。その「鉢叩(はちたたき)」の項で、一具氏の「はちたたき雪はしまくに西へゆく」が取り上げられていることだ。
 
 他の方の一具氏評価に然程興味はないのだが、俳句についての素養を持ち合わせていないので、一具氏像を描くのにそれらの評価に頼らざるを得ないところがある。

 嘉永期に板行された「正風俳人鑑」で最高位の大関に番付されているとの情報がある。
 江戸時代には、さまざまなものにランク付けが行われ、その番付として公表されたという。
 俳人の番付も、文化文政期頃から各種出されて、幅広い交流をもとうとする俳人たちの情報源になっていたとのことだ。この「正風俳人鑑」もその中の一つのようだ。

 正風というのは本来的には必ずしも蕉風の独占的用語ではないそうだが、芭蕉ゆかりの俳人は、自分たちの俳風を正風と称したのだそうだ。これは自己の風を天下の正風と誇示しているということのようだ。

 「早稲田大学図書館」ホームページ「古典籍データベース」で、今まで確認した方々を視点に、その番付を見てみる。ここでは、いろいろな俳人の番付表が確認できる。

 「大日本誹諧高名竸 (嘉永3年<1850>)」で一具氏が最高位の西大関に番付されていることが確認できる。
 「正風俳人高名鏡」では、「大阪鼎左」が三番目にランク、「陸奥多代女」が十八番目にランクされるのが確認できる。
 「俳諧正風競」では、勧進元に一具氏の名があり、西の大関に多代女氏がランクされている。
 年代不明の「正風俳人鑑」で、八番目に大阪鼎左氏が、十六番目に江戸一具氏が確認できる。
 慶応2年「俳諧名家鑑」最上段十八番目に、江戸一具庵愚春が確認できる。
 「現今東京俳家有名一覧(明治20年)」に、本郷区駒込西斤町十番地小川一具庵尋香が見えるが、この方は一具氏の門弟の方のようだ。

 「俳諧諸大家短冊現今価格表(明治40年8月改正)」なるものもある。
 その上位に河合曽良4円・謝蕪村3円・正岡子規2円・俳諧寺一茶2円等がみえるのだが、ここに松窓乙二氏が貳拾銭、鼎左氏が拾五銭、一具庵一具氏が八銭と値踏みされている。
by shingen1948 | 2018-12-14 10:47 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)