地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

更にもう一つの奥の細道④

 奥州街道の西側の通りが、寺町通りで寺々が並んでいる。その寺町通りの別名が西裡通りだ。一具氏が住僧だったという幕末の大円寺を、案内では「西裏時代」と表現しているが、その「西裏」は、その西裡通りを指している。
 この通りには、現在も南から常光寺、真浄寺、誓願寺・安善寺・東安寺が並んでいる。その時代には、安善寺と東安寺の間に大円寺と常福寺があったということだ。
 この二つの寺は、明治14年(1881)の甚兵衛火災で焼失して以降再建されなかったということだ。

 以前「旧日本銀行福島支店役宅」に立ち寄った時に頂いた「福島城下町探訪」という散歩資料に、現況の地図と福島城や街道、それ西裡通りの寺々の様子を重ねた図があった。
 それを見ると、大円寺と常福寺の寺跡以外は、現況に当時の痕跡が色濃く残って居る事が分かる。寺だけでなく、寺前通りも現況とほぼ重なっているようだ。ただ、東安寺前の通りだけは、東邦銀行の建設に伴って南側に移動になったとのことだ。

 ということは、この二つの寺跡の様子を詳細に確認すれば、その時代の西裡通りがより豊かに想像できるという事だ。
a0087378_11431923.png ちなみに、「ふれあい歴史館まちあるき」資料によれば、福島城の防御の薄かった西側と北側の城下町の外郭に寺院を配置して強固な守りを実現したものとのことだ。西裡通りはその西の外郭にあたるということだ。
 なお、この西裡通りの常光寺については別の散策の機会に、以下でふれている。
 〇 「信夫橋8」
 https://kazenoshin.exblog.jp/8595428/

 〇 奥州街道、西裏通り
 https://kazenoshin.exblog.jp/6050181/

 〇 信夫の里の狐達21~信夫の里の独国和尚⑦
 https://kazenoshin.exblog.jp/17489069/

 また、西裡通りの康善寺についても以下でふれている。
 〇 無為山「康善寺」
 https://kazenoshin.exblog.jp/7797008/

 甚兵衛大火については、以下でふれている。
 〇 信夫橋9~甚兵衛大火
 https://kazenoshin.exblog.jp/8602747/

 〇 福島の歴史的風景リセット:甚兵衛火事
 https://kazenoshin.exblog.jp/6094603/

 なお、真浄寺については、寂光院とのかかわりで何度かふれているが、西裡通りの寺としては整理していなかったようだ。
by shingen1948 | 2018-12-03 11:47 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)