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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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更にもう一つの奥の細道③

 案内板の説明に「西裏時代」にあったという「大円寺境内は国際パール敷地である」とある。今はその国際パールはないが、国際何とかという映画館があった辺りに心当たりはある。  
 その場所がこの辺りだ。
a0087378_105843.jpg 映画館の情報を探ると、昭和62年(1987)9月にフォーラム進出と入れ替わり、国際3館が閉館したとのことだ。
 確か、半分が名画座で半分が成人映画だったように思うが定かではない。駅前通りから北に入った辺りにも国際何とかという映画館があった。
 これが国際3館なのだろうと思う。それら3館の記憶に混同していることがあるかもしれない。ただ、こちらの劇場脇の路地を入ったところにアンコウ鍋が食える料理屋さんがあったように思うが、これは確かな記憶だ。

 それはさておいて、文政2年(1819)から4年間一具氏が住僧だった大円寺はここにあったということだ。また、明治14年4月の甚兵衛大火で罹災し、正岡子規氏の来福時は仮堂のままになっていたというのもここだ。

 ここから余談になる。
 現況は「一番丁キャッスルビル」のようだが、信夫山の大円寺の案内板では、ここを「現国際パール」としている。散策を楽しんでいる者としては、その消えた映画館情報も確認しておきたい。

 案内板からは、最初大福座という劇場だったことが読み取れる。
 その大福座だが、大正6年8月13日新設で開場したらしいという情報がある。大円寺の信夫山移転が明治32年4月とのことなので、その8年後ということになる。
 大福座という名称だが、ここが寺地だったということとかかわるようだ。
 国際パール(大福座)の敷地と大円寺境内は重なるそうだが、その北側にも常福寺という寺があったようだ。
 その寺は再興されることなく、この並びの「真浄院」に合併されたようだ。平成27年の「ふれあい歴史館まちあるき」資料の「真浄院」についての解説の中に、「明治初頭には早稲町の常福寺・御山村の寂光寺など14ケ寺が合併」とあったことからの推測だ。

 大円寺の「大」とその常福寺の「福」をとって、映画館が「大福座」と命名されたらしいという散歩資料情報がある。
 戦時中の昭和17年には、福島には新開座・福島松竹映画劇場・福島座・福島劇場・福島東宝劇場などと共に大福座の名も見えるようだ。終戦の前後の期間に大福座は一時閉鎖するが、大都映画館の常設館として復興したとのことだ。
 それが、昭和21年11月福島唯一の洋画封切専門館となり、その名も「国際映画劇場」と改めたという。そして、昭和25年9月には「国際第二劇場が増設され、こちらが昭和27年に邦画専門館となり、後に国際パールと改名されたとのことだ。
 情報によっては、駅前国際が国際パールだったとの情報もあり、定かではないところもある。
 
 昭和35年には福島には以下の11館の映画館があったという。
 福島東映劇場、福島大映劇場、福島東宝、福島駅前国際、福島日活劇場、福島中央映画劇場、福島第一映画劇場、福島松竹映画劇場、福島国際映画劇場、福島国際名画座、福島文化映画劇場
 この情報の中の「福島国際映画劇場」「福島国際名画座」「福島駅前国際」が、自分の記憶に近い情報かなと思う。

 そして、先に記したように、昭和62年(1987)9月にフォーラム進出と入れ替わり、国際3館が閉館したという情報に繋がるということのようだ。
by shingen1948 | 2018-12-02 10:08 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)