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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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和算「最上流宗統派の系譜」から⑯

 前回は、法道寺善氏の福島来遊についての情報を確認した。
 法道寺善氏は、初め広島で梅園立介に数学を学び、後に江戸へ出て内田五観の塾でさらに数学を学んだ後、日本全国を遊歴して各地で数学を教授しているとのことだった。
 その長崎来訪の事例をもとに論じるのが「法道寺善の「観新考算変法」と九圓變換術矩合集について(米光 丁)」。
 その本論は専門的内容なので歯が立たないので、その結びから捉えるべきことを推測する。

 法道寺善の長崎滞在は、嘉永5年(1852)前から数年間したとのことだが、この事と嘉永5年(1852)に「算法円理括襄」を完成させた長崎の加悦俊興著(法導善が書いた旨を川上朝隣に語ったとされる)ことが関連的であるということらしい。
 また、法道寺氏の「観新考算変法」(土屋本)は万延元年(1860)であり、この「算法三十七問起源」は安政7年(1860)2月であるが、長崎でも当時長谷川寛の極数術と法道寺善の算変法の教え考え方が門人たちに受け継がれていたということだ。

 これは、前回整理の法道寺善氏福島来遊の補強情報としての受け止めのつもりだが、記述の中に直接的に福島にかかわる情報も含んでいる。
 例えば、明治24年4月に福島市立子山の稲荷神社に奉納された算額は、法善寺善の門人によるものだという表現がある。
 この「明治24年4月に福島市立子山の稲荷神社に奉納された算額」というのは、「丹治重治他が、明治24年4月(1891福島県福島市立子山目細内110 篠葉沢稲荷神社に奉納した算額(現存)」という県内の情報と重なるものだろうと思う。

 幸いなことに、この算額は名古屋で2015年に開催された「庶民の算術展」に出品されたこととのかかわりで「篠葉沢稲荷神社」のホームページで確認できる。

 その算額の題は「最上流宗統四世 明齋 丹治重治撰」
 その上段に以下の方々の名が見える。
 安達郡沼袋 熊坂甚太・安達郡沼袋 國嶋彦八・信夫郡金沢 須田松五郎・伊達郡飯野 高橋藤吉・安達郡沼袋 野地伊三郎・安達郡下川崎 渡辺庄八・信夫郡金沢 菅野又治郎・信夫郡金沢 渡辺又七・信夫郡金沢 斎藤与惣右衛門・信夫郡松川 鈴木佐太郎

 その下段に以下の方々の名が見える。
 信夫郡金沢 半澤子之吉・安達郡下川崎 野地勘之助・信夫郡金沢 丹治次郎蔵・信夫郡金沢 須田吉六・信夫郡金沢 渡辺勘之丞・伊達郡立子山 高橋千代吉・明齋丹治子通 信夫郡金沢 思齋丹治重満・信夫郡浅川 曠齋 尾形英悦 □印〇印・最上流五伝曠齋尾形英悦門人 信夫郡浅川 長沢忠兵衛

 信夫郡浅川 菅野徳衛門 謹写
 安達郡沼袋 菅野 与市 謹書
by shingen1948 | 2018-11-05 10:09 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)