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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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和算「最上流宗統派の系譜」から⑮

 前回は、七伝の杉妻村黒岩の長沢辰蔵氏の情報確認のために算額情報を拾ってきたその過程を記し始めたところだ。
 「黒岩虚空蔵の算額」についてのやや詳しく情報を拾ったところで思い出すのは、「佐久間文庫の由来」での以下の解説。

 時たまたま慶応2年、広島の法道寺善の来遊があり、和算の最高峰に位する転距軌跡、およびそれに伴う重心問題が、丹治庄作、尾形貞蔵らによって研究された。その成果は、福島市の近郊の(例えば黒岩虚空蔵の)算額に今日も見ることができる。

 慶応2年に来遊したという広島の法道寺善氏について当方は知らないのだが、誰でもが知っている方という前提で案内されているので確認する。
 ウィキペディアの「和算」の項に「和算の発展に関わった人物」の一人として以下のように紹介される。

 文政3年(1820)―明治元年(1868)
 幕末に活躍する。当時、互いに接する多数の円の半径の関係を求める問題が広く扱われた。これを簡単化するため、算変法を導入し、円の一つを直線に変換することで計算を簡略化した。これは現在の反転に相当する。他に、図形の重心問題・サイクロイドに関係した問題を扱う。

 この方が、慶応2年に福島に来遊されるということとかかわりそうなのが、「平凡社世界大百科事典」解説の以下の部分だ。

 幕末の数学者。算変法の創始者として名高い。通称和十郎、字は通達、観山と号した。初め広島で梅園立介に数学を学び、後に江戸へ出て内田五観の塾でさらに数学を学ぶ。内田の塾を出て、日本全国を遊歴し、各地で数学を教授した。

 「福島の和算(平山諦)」では、その法道寺善氏の福島来遊についてやや詳しく紹介される。
 その概略を以下のように読み取る。

 法道寺善氏が福島に来たのは慶応2年とのこと。
 氏は、三春の佐久間家と松川の丹治家で教えたとのことだが、その2年後には法道寺氏は広島に帰って没しているという。ということは、この福島の地で福島の和算家達に教えていた頃が、この法道寺氏の円熟に達した時期に当たるとのことだ。

 転距軌跡の問題とそれに伴う重心の問題を解くための豁術の種は、この時にまかれたのだということだ。そして、慶応2年から佐久間・丹治・尾形貞蔵らの研究が終わる明治20年までの20年の研究実績は目覚ましいものだという。
 素晴らしいのは、純然たる和算の方法で転距軌跡の問題を解いている事なそうで、「佐久間文庫」解説で「和算の最後の花」と表現するのは、この事を指しているようなのだ。

 法道寺善氏の福島来遊でまかれた種が、見事に芽生え成長したということを、この地の和算の特色の一つと考えてよさそうだという事でもあるようだ。
by shingen1948 | 2018-11-04 11:12 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)