地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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和算「最上流宗統派の系譜」から⑬

 「金谷川のあゆみ」が「最上流宗統派の系譜」について、今のところ確認できたのは、次のような事だ。

 まずは、「最上流宗統派の系譜」の繋がりそのもの。
 元祖会田安明氏<延享4年(1747)~文化14年(1817)>から土湯の渡辺治右衛門一氏(二伝)に継がれた最上流の和算が二本松の宍戸佐左衛門氏(三伝)に継がれる。
 ここから、安政4年(1857)に金沢村丹治重治氏(四伝)に継がれて、明治17年(1884)に浅川村舩橋の尾形曠斎氏(五伝)に継がれる。そして、明治38年(1905)に浅川村下中沢の長沢保斎氏(六伝)に継がれたものだ。
 ここまでが幕末の二本松藩領内での話だが、その後隣村の杉妻村黒岩の長沢辰蔵氏(七伝)に継がれたが、ここで後継者がなくなり、最上流は途絶えたとのことだった。

 次に、確認の方法。
 二伝の渡辺治右衛門一氏については、土湯の散策資料と二本松市史を中心に確認し、三伝宍戸佐左衛門氏については二本松市史を中心に確認をしてきた。
 四伝の丹治重治氏から六伝の長沢保斎氏までは、「福島のいしぶみ」とも照らし合わせながら石碑の碑文をもとに確認をした。
 まだ確認はしていないが、六伝の長沢保斎氏については「長沢清家和算資料」が福島県歴史資料館収蔵されているという情報も見つけている。「福島県歴史資料館収蔵資料目録38(平成18年度刊)」

 残ったのが七伝の杉妻村黒岩の長沢辰蔵氏の情報確認。
 六伝までは石碑を資料として確認してきたが、考えてみれば石碑は受け継いだ次の代の方が建てるものだ。最後の代である七伝の杉妻村黒岩の長沢辰蔵氏のものはない。
 それで、思いつく資料は奉納された算額だ。
 浅川村と杉妻村周辺の奉納された算額情報を拾ってみた。
 今のところ、七伝は長沢保斎氏から継いだものだろうと思うが、五伝の尾形曠斎氏からも直接学んでいたらしいという程度の確認でしかない。
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by shingen1948 | 2018-10-30 10:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)