人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

和算「最上流宗統派の系譜」から⑪

「和算「最上流宗統派の系譜」から⑤」で確認したように、福島地区の散策資料では最上流三伝宍戸政政彝氏についての情報は少ない。それで、それを挟んだ最上流二伝渡辺一氏と最上流四伝丹治重治氏の情報から宍戸政政彝氏についての情報を拾っていたところだった。
しかし、二本松地区の散策資料を確認していたら、以下のような最上流三伝宍戸佐左衛門政彝氏そのものの詳細情報もあることが分かった。

 二本松に生を受け、松岡町に住し、柏屋と称して米穀商を営む。
 渡辺東岳の高弟として名をはせ、多くの門人を輩出している。文政9年版「古今名人算者鑑」では西幕下14枚目に位置される。
 また、苗字帯刀御免、町検断補佐役に任じられ、仁慈・公共心に厚く、困窮者には米・塩・衣を与えて救助し、両社祭礼には町内若連に揃いの衣服を新調して贈るなど篤志の行いが多かった。さらに同町の纏に分銅型を用いたのは江戸消防6番組の纏を擬して製作し寄付したのが始まりとされ、「松岡の殿様」として尊敬された。
 元治1年2月24日没享年84歳、墓所顕法寺  

 宍戸佐左衛門政彝氏は、二本松では商人としても著名なようで、そちらからの視点では次のような情報になる。

 佐左衛門(政彜、元治2年没)は算学者として著名だが、嫡男金四郎(明治15年没)と共に商人としても成功している。
 当初は米穀店を開き、のち蚕物商を営み繁栄し、貧窮者に対する施し等は勿論、御両社祭礼の際の字分若連お揃いや消防組の纏の寄付は今でも語り伝えられ、「松岡の殿様」と称された。
 明治9年天皇御巡行の時には、岩倉具視の宿舎、大久保利通の休憩所にあてられた。

 なお、山形大学佐久間文庫をもとに昭和57年3月に復元されたというこの方が白河市明神 境明神に奉納した算額が白河歴史民俗資料館にあるようだ。写真での確認。

 まず、「所懸千奥州・野州境明神社者一條」との題。
 次に、算数の問いと答えがあって、その後ろに次のような奉納者名がある。

 奥州二本松家士最上流〇伝渡辺治右衛門一門人
        同所松岡町住 宍戸佐左衛門政彜 
 文化元年甲子三月
by shingen1948 | 2018-10-24 14:29 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)