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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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和算「最上流宗統派の系譜」から⑤

 最上流三伝宍戸政政彝氏についての情報は少ないが、それを挟んだ最上流二伝渡辺一氏と最上流四伝丹治重治氏については容易に確認できる。そちら情報から宍戸政政彝氏についての情報を拾う。

 「日本古典作者事典」の渡辺一氏の項の中に「門弟:宍戸政彝・佐久間正晴ら多数」とある。
 ここからは、宍戸政彝氏が、佐久間正晴氏と共に、最上流二伝渡辺一氏の高弟であっただろうことが伺える。
 また、丹治重治氏の項では、「1850(14歳)野地豊成門、最上流和算宍戸政彝まさつね(:二本松藩士/渡辺一門)門」とある。
 ここからは、宍戸政彝氏が丹治重治氏の師であるという事と共に、氏が渡辺一門の二本松藩士とされていることに着目したい。
 ここに、前回確認の「ふれあい歴史館」所蔵算額に「最上流三傳完戸左エ門政彝門人 信夫金澤〇 丹治栄之助重治」とあることから読み取れる最上流三伝であること、碑文にその門弟丹治栄之助重治が最上流四伝であることの情報を加えて、宍戸政彝氏にかかわる情報としておく。

 次に、最上流二伝渡辺一氏についての情報を確認する。
 「日本古典作者事典」で確認していて、気になったのが次の二つの記述だ。
 それが、「1824山崩の岳温泉の引湯工事:25完成」とあることと「息子未文は砲術家、孫の孫市は武衛流砲術師範」とあることだ。

 まずは、「1824山崩の岳温泉の引湯工事:25完成」から確認する。
 これは、最上流二伝渡辺一氏が二本松藩士として、「十文字岳温泉」引湯工事の引き湯設計にかかわったということとかかわるようなのだ。

 「岳温泉観光協会」のホームページに、「岳温泉の歴史・伝説」を紹介するページがある。
 http://www.dakeonsen.or.jp/history.stm
 元々の岳温泉である湯日(元岳)温泉が山津波によって一瞬にして崩壊、埋没するのが、文政7年8月のようだ。
 次が十文字岳温泉時代<文政8年(1825)~慶応4年(1868)>になるようだが、以下はその時代の紹介の出だしの記述だ。

 「藩は元岳温泉から6キロ程下の平原地(現在の不動平)に新温泉地を建設に着手した。引湯設計は藩随一の算学者渡辺東岳が行った。鉄山の湯本からの引湯は、当初は土管を樋として土中に埋めたが湯冷めがするため、松の木管に変更するなど大がかりだった。そうして費用5千両をかけ驚異的な早さで翌年7月に完成したのである」
 
 ここに、「引湯設計は藩随一の算学者渡辺東岳が行った」とある。
 「最上流二伝渡辺一」氏の字は貫卿で、通称は治右衞門、その号に、東岳・斎・ていさい・西河・現在坊があるということだ。
 従って、この「藩随一の算学者渡辺東岳」は、「最上流二伝渡辺一」氏の号で紹介されているということだ。

 この「十文字岳温泉」を訪ねて「十文字岳温泉地を訪ねる」として整理したのは、2006年だが、この時に最上流二伝渡辺一氏のかかわりに気づいていない。
 https://kazenoshin.exblog.jp/4587792/

 なお、元々の岳温泉である湯日(元岳)温泉については、主として「安達太良山③~元岳温泉」で整理している。
 https://kazenoshin.exblog.jp/7573762/
 次の「安達太良山④景色の中から」からは、現在の岳温泉の源泉になっていることとのかかわりで整理している。
 https://kazenoshin.exblog.jp/7576602/
by shingen1948 | 2018-10-16 12:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)