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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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和算「最上流宗統派の系譜」から~明斎先生(丹治庄作)碑⑤

 長沢保斎碑では、裏面の確認を忘れていたが、この碑では一応確認はしている。ただ、碑面が痛んでいて、肉眼では彫られている文字は読めないなと思った。とりあえずメモ用に写真だけは撮っておいた。
a0087378_544246.jpg その撮った写真を確認してみたら、読める部分もあるようだった。それを「福島のしいぶみ」に、この背面に刻まれている以下の情報と照らし合わせてみる。

 背面
  最上流宗統四世明斎門人高弟
  岩代信夫郡一名 但馬出石郡一名 岩代安達郡八名 越後魚沼郡一名
  岩代会津郡一名 同信夫郡八名 世話人十二名 発起人八名(氏名省略)

 上段に、縦に「最上流宗統四世明斎門人高弟」とあって、その脇に十二名が列記されるのが分かる。また、下段に横書きで「世話人」「発起人」とあって、その下にそれぞれの方々の氏名がしるされるという構成らしいことも分かる。
 その下段の氏名部分はほとんど読み取れなかったが、上段の最上流宗統四世明斎門人高弟の氏名部分は読み取れるものがあったのだ。
 その中でも、最初に刻まれる「岩代信夫郡一名」の方が、尾形貞蔵氏であることが読み取れたのは成果だなと一人で勝手に思っている。
 この方が、先に整理したように、明治17年(1884)に丹治明斉氏の門弟で五伝の算法印可を受けた浅川村舩橋の「尾形曠斎」氏のようなのだ。

 なお、この丹治重治氏の以下の掲額についての別情報がある。
 安政7年正月(1860)に丹治粂之助重治名で信夫山の黒沼神社に奉納した額・福島市ふれあい歴史館で現存とか。
 また、明治24年4月(1891) 丹治重治他名で立子山の篠葉沢稲荷神社に奉納した額が現存とか。
by shingen1948 | 2018-09-28 09:43 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)