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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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和算「最上流宗統派の系譜」から~明斎先生(丹治庄作)碑

 先に、下川崎の野地弥源太豊成氏と共に二本松藩の最上流宗統派門弟となった金沢村の丹治重治氏が安政4年(1857)に丹治明斉氏として四伝の算法印可を受けている事について記した。
a0087378_96236.jpg その丹治重治氏の碑が福島市の稲荷神社に建っている。ただ、こちらの案内板や石碑では重治という名は見えない。

 その脇に福島信夫ライオンズクラブの案内板あり、そこでは次のように解説する。

 <記念碑>明斎先生碑

 この碑は、福島市松川町金沢に生まれた最上流和算大家丹治明斎先生をしのび、門弟らによってその学績をたたえたものであります。
 明斎はその号で、天保7年(1836)の生まれ、通称を庄作または粂之助といい、成長して下川崎村古城内の野地弥源太について和算を学び後に最上流宍戸政彝の門下に入り、農業の側ら勉学を続け安政4年(1857)に許されて最上流四代目の学統をつぎ著書500巻、洋算にも精通した算学者でありました。
 門弟は千人ともいわれ、明治42年(1909)七十四歳で亡くなりました。碑の背面に見られるように但馬国(兵庫県)や越後国(新潟県)にも門弟がいたほど有名な学者でありました。

 この中の「最上流四代目の学統をつぎ」ということにかかわって、今までの整理との整合性について整理しておく。
 先の整理では最上流宗統派初代を渡辺一氏とした。
 しかし、最上流そのものとしての元祖は会田翁だ。従って、渡辺一氏はその二伝ということでもある。
 ここに登場する宍戸政彝氏は渡辺一氏からみるとその初伝であり、最上流としては三伝ということである。
 それで、「最上流四代目の学統をつぎ」としては、その三伝宍戸政彝氏から継いだものという事になるようだ。
by shingen1948 | 2018-09-24 09:08 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)