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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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和算「最上流宗統派の系譜」から~長沢保斎碑②

 ここには、昼過ぎにお邪魔してご案内いただいた。曇り空の林の中ということで、古い安物のデジカメではピンが甘くなりがちだ。それでも、碑面の痛みはなく、碑文はきれいにメモることができた。
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 その「長澤保斎之碑」の碑文は、前回整理に続けて「穎悟特徴数理」となる次のような経緯が記される。
 
 厥三世祖曰忠吉以数学有名翁蓋稟其性者歟村有尾形英悦者
 亦以数学馳名人称之曰最上流翁就学其門嶄然露頭角後又就
 同村人丹治重吉究其蘊奥以授之于徒徒来自四方翁日夜教之
 而不倦郷人化之長数学者仍今不少云其功洵可謂大也矣

 ※厥 =その、 蓋 =おもうに、稟 =うける、歟 =や=であろうか、
 ※ 蘊奥=うんのう=奥義 極意、于 =往の意、徒 =その仲間 その同類の人
 ※ 不倦=飽きることがない 仍 =かさねて、洵 =まことに、也矣=断定・詠嘆・疑問などを表す助字 

 漢文の素養はないが、「金谷川のあゆみ」の以下の「長澤保斎之碑」紹介文と照らし合わせてその意は想像できる。

 丹治明斎、尾形曠斎に最上流の和算を学び、明治35年(1905) 尾形曠斎から算法印可を受け、最上流宗統六伝となり、大正11年(1922)75歳で没した。

 この「75歳で没した」の部分は、以下の碑文の〆の後に記される。

 大正六年歳次丁巳秋十月
 二本松 霞城 三浦譲撰
 福島 遂堂 高橋直周書併篆額 于時年七十五
 また、その枠から外れて「福島 佐藤喜誠鐫」が記される。
 ※鐫 =彫刻する

 「長澤保斎之碑」の碑文は、続けて授かった社会的地位を功績として記す。
by shingen1948 | 2018-09-22 10:08 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)