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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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和算「最上流宗統派の系譜」から~長沢保斎碑

 「浅川、松川散策の写真メモから⑤~舟橋地区④:船橋観音堂②」で、この地区の「最上流宗統派の系譜」について整理している。
 https://kazenoshin.exblog.jp/237920354/

 この中の明治38年(1905)に六伝の算法印可を受けた浅川村下中沢の長沢保斎氏の石碑が確認できたので整理する。
 「金谷川のあゆみ」ではその碑があるのはN氏宅内となっていたが、その敷地は広い。イメージ的にはN氏宅の西側の林の中に建っているという感じだった。
a0087378_544932.jpg まずは、この地区の「最上流宗統派の系譜」の概要を再掲する。
 二本松藩の最上流宗統派の系譜の初代は渡辺一氏で、それが完戸政彝(まさつね)氏に継がれる。この地区の金沢村丹治重治氏が下川崎の野地弥源太豊成氏と共にその門弟にいて、この丹治重治氏が安政4年(1857)に丹治明斉氏として四伝の算法印可を受ける。
 明治17年(1884)に丹治明斉氏の門弟だった浅川村舩橋の「尾形曠斎」が五伝の算法印可を受ける。先の浅川散策の舟橋観音でふれた方だ。
 そして、明治38年(1905)に、今回石碑が確認できた浅川村下中沢の「長沢保斎」が六伝の算法印可を受けたということだ。
 その後、隣村の杉妻村黒岩の長沢辰蔵氏が七伝となったが、後継者なく最上流が途絶えたとのことだった。

 次に、本題であるその最上流宗統派長沢保斎氏の確認に入る。

 「金谷川のあゆみ」では、氏を「心の文化財」から引いて次のように紹介する。
 長沢保斎は、嘉永元年(1848)この地に生まれ、名を忠兵衛あるいは英忠といい、保斎と号した。丹治明斎、尾形曠斎に最上流の和算を学び、明治35年(1905) 尾形曠斎から算法印可を受け、最上流宗統六伝となり、大正11年(1922)75歳で没した。

 この概要をガイダンスにして碑文を読んでみる。
 碑文は、次のように始まる。

 長澤保齊翁碑
 保齊翁通稱忠兵衛長澤氏信夫郡金谷川村淺川字中澤人也以
 嘉永元年四月生其家為考諱孫𠮷妣同氏翁生而穎悟特徴数理


 ※考は亡き父で、妣は亡き母とのことだ。
 従って、その生誕については、嘉永元年(1848)4月に、亡き父の諱は貴英孫𠮷で亡き母も同氏の家に翁は生まれたということで、やや詳しく記される。

 ※穎悟はすぐれて悟りのはやいこと、賢いことのようだ。

 碑文は、続けてその数理に優れた氏が、最上流宗統六伝を伝授する経緯が記される。
by shingen1948 | 2018-09-20 10:42 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)