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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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八丁目宿散策からの帰り道 ~ 水雲神社③

 宮の前集落から山道を進んで、この神社に辿り着いたのは神社の脇だ。境内には、ここから入った。昨日使用の写真は鳥居越しに神社が写っているが、これは境内に入った後に回り込んで撮ったものだ。
八丁目宿散策からの帰り道 ~ 水雲神社③_a0087378_8494464.jpg 「金谷川のあゆみ」に、この神社にかかわるおおよそ次のような話が紹介される。この話には、神社に辿り着いて直ぐに撮ったこちらの写真が似合っているように思う。

 この地が米沢藩の領域であった頃、この明神付近一帯に巨竹が繁茂し密林状態だった。その竹は、直径2尺ほどあり風呂桶やその他の容器類に使用されていた。
 この竹を毎年御用竹として米沢まで搬送しなければならなかったが、これが大変な苦労だった。
村人は、この地で巨竹が産出しなければ、こんな苦労をしなくてもよいはずだという事で、この巨竹をどうするかを話し合ったがまとまらなかった。

 そんなときに、旅の六部(白衣をまとう諸国行脚僧)が、事の次第を聞き、自分が人柱になって、その願いを叶えるといって、村人に大穴を掘らしめ、大竹明神の黄金の御幣を抱いて、土中に埋めさせ、その上に下肥を散布し祈らせた。
 その深夜、大竹は大音響とともに割れ滅した。

 その後、村人は塚を発掘したが、そこに六部の白骨は見つかったが、大竹神社の黄金の御幣は発見できなかった。
 村人は、その六部の霊を慰めるために供養塔を建立した。

 この話の供養塔の所在は分からないのだが、この神社境内近くと思い描いて想像する。
 なお、この話に「大竹明神の黄金の御幣」というのが登場するが、これが、昨日整理したこの神社の鎮守神の概念でとらえた祭神の御幣ということのようだ。
by shingen1948 | 2018-09-13 10:48 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)