地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び八丁目宿へ ~常円寺

 前回の散策で、常円寺あたりは、手持ち情報をよく確認しないまま散策していた事に気がいた。誤りについては「浅川、松川散策の写真メモから33」でおおよそ訂正したところだが、あらためて確認する。
 https://kazenoshin.exblog.jp/238134235/

 この常円寺は、「信達二郡村誌」では次のように紹介される。
a0087378_1091585.jpg 北部水晶沢に在り 境内東西32間南北12間 段別1段2畝23歩 官有地外に民有地3畝9歩有り 羽前国置賜郡米沢曹洞宗東源寺末派なり 慶長6年丑年奈良沢主殿助淳盛開基と云伝ふ

 このあたりの地域散策では、「羽前国置賜郡米沢曹洞宗東源寺末派」からは上杉氏とのかかわりを想像するものだ。「のりしろ散歩~米沢街道⑨(笹木野宿附近)~仏母寺」の整理でもふれているが、その中にこの寺の開基奈良沢主殿助淳盛氏も含まれている。
 https://kazenoshin.exblog.jp/19677037 /

 上杉輝虎(謙信)が、飯山城の防備強化のため、安田顕元(譜代衆。越後国安田城主)と岩井昌能(信濃衆。もとは高梨氏の同名衆)を派遣することを伝える手紙を出した相手とされる方の中に、仏母寺とかかる方と共に奈良沢氏名も見えている。
 その方々というのが、「信州飯山城(水内郡)の城衆(外様平衆)である上倉下総守・奈良沢民部少輔・上堺彦六・泉弥七郎・尾崎三郎左衛門尉・中曽根筑前守・今清水源花丸」ということだ。この中の奈良沢民部少輔とされる方だ。

 上杉氏にかかわる整理でお世話になったMASAさんが、そのブログでそれらの方々について整理されていらっしゃるのをみつけた。「泉八家と信達八寺」と題しての整理だ。(「泉八家と信達八寺 その1」) 
 https://blogs.yahoo.co.jp/ssyinb27/12021236.html

 既に主な信濃諸将と上杉氏とのかかわりの概略の基礎知識を有することを前提に紹介される。
 江戸幕府の時代には、武田侵攻からの時間も経過していて、信濃諸将は上杉家の中核となってしまう。その中の一人に岩井昌能氏がいらっしゃるが、泉八家はその本家筋や親戚筋にあたられる方々ということのようだ。
 奈良沢氏は、その中の一家ということのようだ。

 菩提寺建立経緯について読み取ると、「慶長3年(1598)1月10日、上杉景勝公の会津移封によって、泉八家は奥州信夫郡、伊達郡に所領を宛がわることになったとのことだ。それに伴って、信濃国高井郡・水内郡から菩提寺を移したとされている」とのことだ。

 それぞれの方々の信達地方の菩提寺は、次のように紹介される。

 南具羅東源寺(信夫郡名倉村)  尾崎三郎左衛門重誉
 喜松山嶽林寺(伊達郡糠田村)  上倉玄蕃元春
 天徳山明智寺(伊達郡増田村)  今清水掃部介重将
 般若山仏母寺(信夫郡笹木野村) 上堺左馬之助誉正
 玉泉山泉秀寺(伊達郡泉田村)  大瀧甚兵衛実安
 大悲山成願寺(伊達郡大波村)  中曽根小左衛門義清
 岩井山金剛院(信夫郡入江野村) 岩井備中守信能
 長沢山常円寺(信夫郡八丁目村) 奈良沢主殿助淳盛

 なお、常円寺の開創は天正9年(1581)2月25日に水内郡奈良沢邑とされていて、慶長3年に伊達郡糠田村に移転されたとのことだ。そこからこの地への移転という事になるようだ。
by shingen1948 | 2018-09-05 10:11 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)