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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び八丁目宿へ ~西東広親⑦

 現在の風景の中で、西東塾の屋敷はどの辺りだったのかを確認をしようとしている。前回は屋敷の西側から確認を進めたところだが、今度は、その屋敷の東側から確認してみる。

 まずは、「八丁目家主一覧」で屋敷の並びを確認する。

 「西東薩摩」屋敷の東側には「明屋敷」があるようだ。その明屋敷の隣が「明宝院」で、そのまた隣が「地福寺」になっている。
 そして、その「地福寺」の東側に、北へ向かう道筋が描かれている。これが旧街道だろうと思う。その東側に「ハンドメ」があり、そこから南東方向に「川俣道」が記される。

 次に、これら描かれている事と現風景とを照らし合わせる。

 目印になりそうなのは、旧街道の道筋と川俣道なのだが、「八丁目家主一覧」には描かれていないが、現在の風景の中で気になるのは、この大日如来堂だ。
a0087378_17123127.jpg 地図で、右手の建物が石合町集会所であることが確認できる。
 左手に写るのは、その参道の西側の民家の建物だ。
 この左手に写る参道の西側の民家辺りに「明宝院」を想像する。そうすると、この参道東側の現在空き地になっている辺りに「地福寺」を想像することになる。

 更に、これらにかかわりある情報を当てはめて、想像の自然さを確かめる。
 その情報の一つが「松川のあゆみ」の寺小屋情報だ。
 この「明宝院」について次のような紹介をしている。
 
 石合町「明宝院」住職がK宥範氏で、この方が寺小屋師匠なのだが、この方は平林宥京氏のお弟子さんなそうだ。ただ、この寺に関する一切の資料は石合町の大火で焼失していて、詳細は分からないのだそうだ。

 この情報のS氏とあることとからんで、「明宝院」の位置は想像通りと勝手に思っている。
ということで、「西東薩摩」屋敷の位置は、西側の石造馬頭観世音像の建つお宅と「明宝院」がかかわると思われるお宅の間ではないのかなと想像するが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2018-08-30 17:14 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)