地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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池袋駅西口⑪

 グーグル地図では、昭和22年・昭和38年の空中写真と現在の地図を重ねて表示することができる。また、その昭和22年の空中写真では、丸池らしきものが確認できる。
 それを元に丸池が現況のどこに位置していたものかを推理してみた。

 この空中写真との照らし合わせだけで推理すると、この「池袋地名ゆかりの地」の碑が建つ「元池袋史跡公園」と隣の池袋デュープレックスタワーとの境界線とその東側の道路端の交点あたりをその中心にしているような気がする。
a0087378_1252314.jpg その中心点からどのような池を想像するかということだが、その形は昭和22年の空中写真の拡大で確認できる。
 丸池とされる池は、西側から南側にかけては曲線になっているが、東側は長い直線になっていて、北側の直線と直角に交わっているようなのだ。丸い池ではなさそうなのだ。
 東側の長い直線と北側の直線は、そちら側が台地状の地形だからではないのかなと想像する。

 丸い形でないことにちょっと不安になるが、「Com support official webサイト」の「雑司が谷の歴史『弦巻川がきえちゃったよ』」で、丸池は四角く枠に囲まれたとの情報も見て安心する。
 http://com-support.co.jp/kamishibai/tsurumaki-river.html

 この池の形を丸と決めつけていたのは、単なる散策人の思い込みかもしれないと思って確認すると、鉄道教習所時代は石囲いの水溜となっているとの情報も見た。
 成蹊実務学校は、大正末には吉祥寺に移転になっている。丸池は昭和の初期には鉄道教習所の構内になっているはずなので、写真に写るのは鉄道教習所の構内時代の痕跡のはずだ。
 そう思い直すと、「成蹊実務学校」平面図の成蹊池も丸い形ではなさそうだ。

 その大きさだが、「成蹊実務学校」平面図では、寄宿舎や校長住宅と同じ程度の大きさに描かれている。結構大きな池だったということだろうか。プール代りに水泳を楽しんだという情報とも重なる。
 もっと大きく見積もって300坪という情報もみる。これなら、25mプールより大きめの池ということにもなる。
 散策時には、碑の傍の構造物を池を復元したものと想像をしたところもあるが、そんな小さな池ではないということだ。丸池は、想像を超えたかなり大きな池だったということのようだ。
by shingen1948 | 2018-07-22 12:10 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)