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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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池袋駅西口⑧

 創設者の中村春二氏が明治45年(1912)に池袋に開校された「成蹊実務学校」を描いたとされる絵が、「成蹊学園」の「建学の精神」のページのアイコンになっている。
池袋駅西口⑧_a0087378_10211562.jpg そのページを開くと、右手前の柵が、豊島師範のものであることが記されているのが分かる。更に、校舎の右手の建物の門は小宅入り口とあり、その建物が創設者の中村春二氏宅であることが分かる。
 https://www.seikei.ac.jp/gakuen/philosophy/kengaku/

 「黎明期の成蹊学園」のアイコンには、その頃の校舎写真が使用される。その概要には「中村春二は1906(明治39)年池袋に開設した学生塾「成蹊園」を経て、1912(明治45)年には成蹊実務学校を岩崎・今村両氏の賛助で創立します」とある。

 興味深いのは、この絵の学校前の風景だ。
 そこから、当時のこの辺りの原風景の情報が読み取れると思うのだ。

 地図でこの辺りの変遷を確かめると、この時期の「旧豊島師範用地」は「池袋駅西口⑦」で読み取った用地そのものではないことが分かる。
 「池袋駅西口⑥」で確認した昭和36年頃のマーケット付近詳細図の付属小学校と幼稚園の間の道筋と税務署の南側の道筋よりもう一本南の道筋とを結んだラインより北側が、この時期の「旧豊島師範用地」ということのようだ。
 つまり、先の絵の右手前の柵は、位置的にはその付属小学校の角付近ということになる。今回の散歩と照らし合わせると、その位置は池袋公園の南西隅ということになる。当時、その辺りから南側を眺めればこんな風景だったということになるようだ。そして、ここに描かれる道筋は、今回の散歩で歩いた道筋と重なるということのようだ。
by shingen1948 | 2018-07-10 10:24 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)