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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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池袋駅西口⑦

 前回の映画館の位置だが、現在の「東武別館」の位置に「東宝」とされる映画館がプロットされるのをみた。この地図では、他に「豊島通り」の北側に「シネマロサ」という映画館が記される。この位置は、他情報の「世界館」「日本館」の二つの映画館があったとされる位置と重なっている。

 さて、今回の散歩とかかわって、「マーケット」と表記される「元東京府豊島師範学校跡地」部分と重なる部分の確認から「元東京府豊島師範学校跡地」を読み取る試みを続ける。
 「鹿島建設」のページの「鹿島の軌跡(第46回もう一つの豊島公会堂)」に【読売新聞(昭和30年<1955>7/1)】の「無法地帯・池袋西口マーケット10年ぶり実態調査」の記事にかかわる図が掲げられる。
 https://www.kajima.co.jp/welcome-j.html
池袋駅西口⑦_a0087378_105940100.jpg 記事によると、初代の豊島公会堂が現帝京平成大学の所にあったそうだ。
 その建設者が区議会議長の原定良氏とのことだ。この公会堂は、いわゆる「民設公営」の公会堂だったそうだ。立憲民政党の政治家である原定良氏が建設して、豊島区に寄贈したものだそうだ。
 ここが田舎のままなら、名士として名を残していた方だろうと想像する。
 その原定良氏が、「元東京府豊島師範学校跡地」のマーケットの土地管理者として記事に登場するようだ。そのことにかかわって掲げられた図のようだ。

 この図には土地管理者の他に区画整理予定地の情報が読み取れる。この区画整理予定地の情報が、前回整理の昭和36年頃のこのマーケット付近の詳細図と重なる。更に、ここからは、旧豊島師範用地の情報も読み取れる。

 これらをもとにすると、現況と旧豊島師範用地の西側のかかわりが読み取れるということだ。
 今回歩いたのは劇場通りなので、旧豊島師範用地は、およそその道筋の一本西側の通りまでの範囲だったという事が分かる。
 更に、その南側だが、付属小学校の東側の一角が「元池袋公園」ということだ。これと現況変化によって「元池袋史跡公園」ができたものと思われる。
by shingen1948 | 2018-07-07 11:00 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)