人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

池袋駅西口⑤

 前回は、池袋駅西口の山手線から東武東上線に乗り換る前に散歩した範囲を「最新式大東京地圖番地入(大正11年)」の地図で確かめた。その同じ範囲を「東京都區分詳細圖 : 豊島区(昭和31年)」で確かめる。
 確かめる主な事柄は、前回確認した事の大正11年から昭和31年にかけての変化だ。
a0087378_1147485.jpg その一つは、前回もふれたが、「学芸大学付属小学校」の北側は元東京府豊島師範学校跡地のはずだが、ここが「マーケット」と表記される。

 これが、池袋のヤミ市とかかわるものと思われる。
 当初、ヤミ市は露店市場の形態をとっていたが、その露天商組合が政府の帝都復興方針に後押しされて「長屋式連鎖商店街(マーケット)」の形態になったとされるようだ。
 池袋のヤミ市は、駅の東口は早くから栄えたようだが、取り壊しも早かったようだ。昭和 24 年 3 月には区画整理が行われたという。
 その一方で、豊島師範学校の焼け跡につくられたこの大きなヤミ市は、次第にその規模が狭めらはしたが、昭和36年(1961)までその姿をとどめていたとのことだ。

 次に、「成蹊学校」が表記されていた辺りの変化だ。この地図では、ここに「鉄道教習所」・「東京育英高校」が表記されている。
 この「鉄道教習所」は、麹町区山下町にあった「鉄道院職員中央教習所」が、大正13年(1924)に成蹊学園の跡地に「東京鐡道教習所」と名称を変えて開設されたという情報と重なる。
 気になるのは「東京育英高校」も併記される事だ。
 確認すると、その両方とも財団法人鐡道育英会が運営していたということのようだ。
 その校名は東京高等工学校からが時代の流れに沿って東京育英中学→東京育英高校と改称されたもののようだ。
 なお、その財団法人鐡道育英会は、芝浦高・芝浦工業大学を運営する学校法人芝浦学園に吸収合併されるようなので、これらは現「芝浦工業大学」の前身ということになるのだろうか。

 「成蹊学園発祥之地」の案内は、元池袋史跡公園に立つ。地図の情報からは、この「元池袋史跡公園」も成蹊学園敷地であったことは分かる。しかし、成蹊学園の跡地が「鉄道教習所」・「東京育英高校」であるという情報からは、成蹊学園の校舎が建っていたのは現ルミネ付近だろうと思われる。

 ここまで整理してから分かったのが、ルミネの入り口に飾られた鉄道の車輪とその解説パネルがこれらを簡潔に説明していたということだ。
 直接的にはそこに飾られた「動輪の由来」を説明している。その中で「東京鐡道教習所」の跡地であることや、これが現「芝浦工業大学」の前身であること、「成蹊学園発祥之地」とも重なっていることを説明している。
 次のような説明だ。

 ここはかつて東京鉄道教習所があり、広大な敷地に校舎、大講堂、図書館、プール、寄宿舎など立派な施設が完備され、多数の鉄道マンが勉学にいそしんだ場所である。
 当時の所在地 東京府北豊玉郡西巣鴨町字池袋
 敷地及び建物 約37,000平方米の校舎、大講堂、寄宿舎など約100棟の建物があった。
 存在した時期  大正13年(1924年)〜昭和29年(1954年)
 またこの地は鉄道開業50周年記念事業の一環として設立認可された財団法人鉄道育英会により設立した東京鐡道中学校が東京鉄道教習所内に開校し、後に東京育英中学、東京育英中学校、東京育英高等学校、芝浦工業大学高等学校と改称し、昭和57年まで存在していた場所である。
 存在していた時期 大正13年(1924年)〜昭和57年(1982年)
 これらの施設は昭和20年4月14日の東京大空襲で一旦消失した。
 なお、この地は成蹊学園発祥の地でもあり、若者と教育に由緒深い土地柄である。
by shingen1948 | 2018-07-01 11:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)