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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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池袋駅西口④

 何時もなら、池袋駅で山手線から東武東上線に乗り換るだけだった。
 それを、今回は駅の西口に出て「元池袋史跡公園」をスタート地点にして、途中休みながら池袋西口公園、東京芸術劇場の辺りを鏡文字の「のの字」にぐるりと歩いてみたということだ。
 たったこれだけなのに、二つの学校の発祥の地の案内を見た。
 その一つは、池袋西口公園、東京芸術劇場に立つ「東京府豊島師範学校 同附属小学校 発祥之地」の案内であり、もう一つが元池袋史跡公園に立つ「成蹊学園発祥之地」の案内だ。

 家に戻って確認すると、大正11年最新式大東京地圖番地入の地図に、この二つの学校が表記されることが分かる。
a0087378_12453447.jpg この地図では、豊島師範学校と成蹊学校の間に学校名のない学校の記号がみえるが、これが附属小学校だと思うがどうだろうか。
 
 今回は、豊島師範学校とその附属小学校を中心に確認してみる。

 昭和31年の東京都區分詳細圖豊島区の地図では、この記号の上に描かれるコの字型の校舎に「学芸大学付属小学校」が記され、この記号辺りに、プールと分離された校舎が描かれている。
 その上部が空地になっているようだが、そこが「マーケット」と表記される。

 東京府豊島師範学校の沿革で校舎にかかわる記述を確認し、このこととのかかわりを確認してみる。
 この地に東京府豊島師範学校のすべての新校舎が完成し、落合村の仮校舎からの移転完了は、明治42年(1909)9月とのことだ。
 10月には、その付属小学校の新校舎が完成する。
 翌年の明治43袋年(1910)2月には寄宿舎が、4月には農業実習地を開墾、6月には左翼校舎等が完成、その翌年の明治44年(1911)4月には、附属小学校が開校し、5月には本校舎、右翼校舎、屋内体操場等が完成するとある。
 今のところ曖昧ではあるが、寄宿舎は、師範学校の東側で付属小学校の北側の建物ではないのかなと想像している。

 近年、この師範学校は、東京学芸大学の発足に伴い、その母体として包括され東京学芸大学東京第二師範学校になるようだ。
 その東京学芸大学が昭和24年(1949)5月に発足し、この時点からここの入学生は東京学芸大学学芸学部所属となる。
 師範学校時代の入学生を送り出し、その東京第二師範学校が廃止されるのが昭和26年(1951)ということだ。

 昭和31年の東京都區分詳細圖豊島区の地図には「学芸大学付属小学校」しか表記されていないということとかかわる。
 その付属小学校だが、この昭和24年(1949)5月に東京学芸大学が発足することに伴い、ここは東京学芸大学附属豊島小学校と改称されるようだ。
 これが、地図に「学芸大学付属小学校」とされることとの関りだ。その東京学芸大学附属豊島小学校も、昭和39年3月には小金井に移転するという経緯のようだ。

 なお、附属小学校の沿革で、昭和20年4月に空襲により附属校舎を残して全焼が記されるが、以下のような焼失の記録も確認できる。次に確認する成蹊学園ともかかわりがあるようなので記しておく。

 明治45年(1912) 3月 附属小学校校舎、寄宿舎第2棟、右翼校舎等を焼失する。翌々年の大正2年(1913)には完全復旧するが、大正14年(1925)12月、附属小学校から出火し、再び小学校本校舎が焼失する。
by shingen1948 | 2018-06-29 12:51 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)