地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)54~散策の帰り道


 高子山からの帰り道、この「阿武の松原」碑の前の道に出たのは意図したことではない。偶然だ。
a0087378_985359.jpg
 前回、この「阿武の松原碑」を訪ねて整理したのは2009年だ。
 当時から、この碑は町指定文化財だったはずだが、多分案内板はなかったと思う。近所の人に何度か尋ねてようやくたどり着いた記憶がある。
 https://kazenoshin.exblog.jp/8799433/

 今回もここに立ち寄るつもりなかったのだが、それでも整理しておこうと思ったのは、立派な案内板が建っていたからだ。しかも、案内文の中に「阿武の松原」が広く知られるようになったことと熊阪氏がかかわるという情報が含まれているのだ。

 まずは、「阿武の松原碑」に記されていることを確認する。

 陸奥の思ひしのぶに
 ありながら 心にかかる
 阿ぶの松波羅
      太宰弐長実

 古跡「阿武の松原」は、信達一統志によると、桑折駅の南へ一里余箱崎村にあり、今の原町の地で阿武隈川の清流に沿う一帯の景勝の松原で、本邦三松原の一つであったと伝えられている。
 平安時代後期大治元年(1126)白河法皇による勅選「金葉和歌集」巻八にある長実の和歌で有名である
 その後度重なる洪水のため決壊、陥没してか、この松原も次第にその全容を失い僅かに東端の老松のみで名残を留め、相馬福島を結ぶ唯一の旧道は旅人の往来も繁くそのかたわらにそびえ旅情を慰めていたが、齢1000余年の古松も昭和29年8月遂に枯死した。
 この街道も昭和52年立派な町道山の下線として拡幅改修されたのを契機に、部落民ならびに郷土史研究会、有志一同こころより往時の面影をしのび、古松の跡地に記念碑を建立して故事を永く後世に伝えるものである。
                          福巌寺少僧正  石井祐澄撰
                          水雲社 宮司  大橋雅史書

 次に、案内板の解説を確かめるが、解説の太宰弐長実の歌も、以下のように微妙に違って表記される。

 陸奥(みちのく)の思いしのぶにありながら
         心にかかるあぶの松原    太宰弐長実


by shingen1948 | 2018-06-12 09:09 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)